怒るのはよくないことだと、ずっと信じてきた。

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ムッとする出来事や腹が立つトラブルに出くわしたとき、感情のままに怒りを表現する人よりも、ぐっとこらえてクールに振る舞う人のほうが大人として優れている。そう教えられてきた。

それに、怒るのにはエネルギーが要る。ただでも毎日疲れているのだから、相手に自分の気持ちをぶつけて、説明をして、相手からの理解や謝罪を求めるなんていう工程を踏むくらいなら、うやむやにして全部忘れてしまいたい。

だから、わたしは新卒で入った会社で怒りを覚えるようなことがあっても、誰にも言わずになかったことにしていた。というか、怒りという感情すらあえて感じないようにしていたのだと思う。怒りをごまかして違和感ということにして、違和感をすりつぶして気のせいということにして。そうして、あらゆる問題は会社に握り潰される前に、わたしの手の中で霧消していた。

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キャリアチェンジのための退職をすることが決まり、送別会を開いてもらったときに、お酒の勢いでぽろっと話した。会社の男性社員複数名から別々に、キスやハグ、手つなぎ、ホテルに連れて行かれるなどの行為を受けたこと。

わたしも酔っていたし、仕方ないと思って忘れることにしていたこと。取るに足らないことだと思っていたから、そういうノリで話した。困っちゃいますよねー、と笑って。

すると、聞いていた女性の先輩社員が烈火のごとく怒り出した。「それ本当⁉︎ありえない‼︎」そんなに怒ることだったのか、とわたしは驚いた。「お酒を飲んで隙を見せていたあなたも悪いよ」と言われると思っていたから。私が絶対に告発する、と彼女は言った。

そこからまもなく、性的な行為をしてきた男性社員のうち2人が懲罰委員会にかけられた。わたしはすでに退職していたけれど、社員で構成された調査委員会からリモートで事情聴取のようなものを受けた。

いつどんなことがあったのかを事細かに訊かれるそれは、ほとんどセカンドレイプのように感じられた。忘れたことにしていた記憶が蘇って、何度も悪夢を見たりフラッシュバックしたりした。

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だから話したくなかったのに。わたしが忘れたふりをすれば、なかったことになる。この先もふとした拍子に思い出してしまうことはあるかもしれないけど、少なくともわざわざ自分から記憶をたぐりよせて傷つくことはない。

だけど、社内の調査結果を知って、それは自分を守るためのエゴだったと気づいた。

告発されたうちの1人は、ほかの女性メンバーにも加害行為をしていた。当時26歳のわたしよりも若く、まだ仕事を始めたばかりの女の子に。それは、わたしが被害を受けた少しあとのことだった。

あのとき、わたしが怒っていれば。声を上げ、しかるべき場所に駆け込んでいれば。そうすればその子が同じような被害を受けることはなかったはずだった。事実、懲罰委員会を通してその男性は解雇が決まった。

わたしが怒らなかったのは、自分のためだった。もう少し視野を広げて想像力を働かせていたら、たとえ多少の嫌な思いをしたとしてもちゃんと報告をしていただろう。

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女の子ーー10代未満でも、10代でも、20代でも、30代でも、それ以上でもーーに、覚えておいてほしい。

怒ることは悪じゃないし、ゆるすことは必ずしも優しいことじゃない。あなたの怒りや、涙ながらに上げた声が、その先の誰かを救うことがある。だから、おかしいと思うことや傷つくようなことがあったら、勇気を出して誰かに伝えてみてほしい。自分を犠牲にする必要はないけれど、できる範囲で、少しだけ。

あなたが発信してくれたその声は、必ずわたしたちが拾って、みんなで支えるから。