今まで親しい人以外にきちんと打ち明けた事がないけれど、私は自分の家族を丸ごと捨てた。

数年前に人生から断捨離してしまった。こう聞くと、何て薄情な人間なんだと思う方もいるかもしれない。それでももう、限界だった。これ以上私の人生を奪われる前に切り離してしまわないと壊されてしまうと感じたからだ。私の親は所謂「毒親」で、機能不全家族だったのだと知ってから自分の常識がすべて覆されて、親への歩み寄りをやめた。

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他のエッセイでも時々触れる事はあったのだが、我が家は典型的な男尊女卑を地で行く家庭で、子供の頃から「女のくせに」とか「女なら生まなきゃ良かった」と耳にタコができるほど言われて育ってきた。

あまりにも両親が私に関心がないので母方の祖父母が引き取って面倒を見てくれていたのだが5歳の時弟が生まれると、私に関心を向けてくれる人は祖父以外いなくなりそんな祖父が体調を崩して入院すると、両親の元で生活する様になったのだがその日から心から安心して過ごす事が出来なくなった。

親の機嫌次第で服で隠れる位置を思い切りつねられたり食事を抜かれたり。幼い私に家事を押し付けて弟と両親だけ遊びに出かけ、少しでも出来ていない箇所があれば体罰を受けた。

小学校へ入ると教育虐待と束縛も始まり、授業が延びて少しでも帰宅時間がズレると学校へ苦情を入れるのでクラスメイトから白い目で見られ、「和華ちゃんのお母さんが怖いから一緒に遊びたくない」と直々に言われて孤立したりもした。

高校へ入りアルバイトが出来る年齢になると「養ってやっているんだから」と給料の殆どを取られ、なけなしのお金でおしゃれがしたいからとメイク用品を買えば「ブスのくせに色気づきやがって!」と容赦なく捨てられる。その反面弟はやりたい習い事も食べたい物も欲しい物も全て与えてもらい、バイトもせずお小遣いまでもらっていたのでその姿が憎たらしかった。

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ここまで話すと、「自立できる年齢になったらすぐに家を出れば良かったのに」なんて言われるが、貯金もなく友達もいない私に行く当ても頼れる人もなかったので、家を出ようと思う事が出来なかった。反抗して暴力を振るわれるよりも搾取され続ける方がマシだとどこかで思っていたのかもしれない。

加えて両親は外面が良く知人たちに相談したとしても信じてもらえないだろう、と出来ない理由ばかりが自分を支配していた。長年虐げられて感覚がマヒしていた事もあり、「親だって間違った事は言っていないし、家に住まわせてもらってるんだから言いつけを守らないと」とさえ思っていた。

その考えがおかしい、と指摘してくれたのが職場で出来た年上の友人たちだった。二十歳を過ぎても親に縛られ続ける私に、「それ虐待だよ。そんな親の言う事なんてもう聞かなくていい」と言って、金銭的に支援も申し出てくれた。

まだ出会って日も浅い私の事をこんなに考えて行動を起こしてくれる人がいるんだ、というありがたさと今まで私が置かれていた環境はやっぱりおかしかった、大事にされない自分に原因があるとずっと思っていたけど決してそうじゃなかったんだという安心で初めて人前で泣いた。

誰からも搾取されず、危害を加えられるんじゃないかと怯えて過ごさなくて良くなるのかもしれないという希望が見えた。

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友人たちと行政の手助けも受け逃げるように家を出てからもう少しで2年が経つ。ずっと見て見ぬふりをしてきた心はやはり傷だらけだったようで、毎日の服薬が欠かせず今でも人の怒鳴り声が聞こえると体がこわばり過呼吸を起こす。

私をここまでボロボロにした家族には怒りが消えないけれど、もういないものとして生きていく事にした。されてきた事は完全になくなりはしない。

それでもこれからは自分の人生を生きていく為に自分の心に素直に生きていきたい。日常生活を取り戻しつつある今、もう少し体調が回復し再び歩みを進められる様になったら以前の私と同じ環境に置かれている人たちへ手助けができる様な活動もしたいと思っている。