街を散歩していると不意にパンの焼ける香ばしい香りを感じることがある。そこに初めましてのパン屋があると、その匂いにつられて、わたしは入らずにはいられない。

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特に初めてのパン屋では、どんなパンを得意としているのか、どんな食感にこだわっているのか、菓子パンやお総菜パンにはどれくらい力を入れているのか、期待を膨らませ

わたしが一番好きなのは、ハードでがりがりむっちりなパンなのだが、もちろんふわふわで柔らかいソフトのパンも決して嫌いではない。ちなみに、個人的な見解として、クロワッサンと塩パンがおいしいパン屋はわたしにとって"最もおいしいパン屋さん"であり、さらに、パン屋が作るカヌレこそが最もわたし好みであるという主張をここに置いておきたいと思う。

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パンの味や食感、風味以上に、パン屋という空間やそこでしか感じられないあのパンの焼ける香りが、ふわりといつかの記憶を思い出させる。

夕方、遊びに出かけてから帰ってくると、奥のキッチンだけに明かりが灯っていて、家全体はほの暗い。その奥から漂ってくるのは、パンの焼ける香り。またある時は、母が焼けたパンを取り出す天板の音や、リズミカルに生地を捏ねる機械の音がした。

特に週末はいつも焼きたてのパンがキッチンに並んでいた。そのうちのいくつかがその日のおやつになっていた。残りはその次の週の朝ごはんになるのだった。

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そのキッチンはパンを焼くことも大きな目的として設計されていた。大きなガス火のオーブンや発酵器を置く場所が定められていたり、粉類を収納するパントリーも大きめに作られていた。戸棚にはいくつものパンやお菓子のための型が収納されていた。

オーブンがフル稼働していたからか、冬場でもキッチンはほんのり暖かかった。特に用事もない、家にいる週末はわたしも生地を触った。もちもちしているような、ふわふわしているような、ひんやりとした生地の丸め方や休ませ方、成形なども教えてもらって、パンを作った。

特別なことはなにもない。パンのある生活がわたしの日常だった。
温かくて、懐かしい記憶。

「お母さんが作った方がおいしいから」とコンビニやスーパーのパンを買ってもらえず、悲しい思いをすることもあった。
パン屋でアルバイトをしたこともあった。
でも今になって、結局母の焼いたパンが一番美味しいのだと気が付いた。

それくらい、”パン”というものにはわたしの中に染み付いた情景や味が存在している。

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今、母とは距離を置いている。複雑な感情が年々増して、パンのように膨らんでしまった。それでも、今は今であり、過去は過去である。生地から一つのパンが出来上がるまで、それらは決して別個のものではない。しかし、生地と、発酵や焼成を経てできたパン、それから焼きたてとしばらく時間が経ったパン、全て同じ状態ではない。わたしたちの関係も、今はパンができるまでの途中にあるのかもしれない。

それでも、「パンの焼ける匂い」はわたしの記憶に深く染み込んでいる。それは現在の母との関係が大きく揺らいでいても、記憶それ自体が揺らぐことはないということである。

パンの焼ける匂い、それはわたしにとって頭の片隅にあり続ける、とても懐かしい香り。