人生100年時代。栄養価の高いものが食べられて、地方にもジムが続々とオープンし、健康であれば長く生きることができるようになった。それでもやはり老いは人類にとって、いや生物にとって永遠のテーマだと思う。

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どれだけトレーニングしたって、食べ物を変えたって、美容医療をしたって肉体は一見若く見えても心と頭は衰えていくはず。
昨日食べたものがわからなくなったり、自分が誰なのか、周りの人間が誰なのかもわからなくなってしまうと思うと本当に恐ろしくて仕方がない。

それに、私たちの世代は年金が多くもらえるというわけでもなさそうだしそれ以前に少子高齢化だし、そういう面でも怖い。
それでも前を向いて、頭の中に明るいビジョンを思い浮かべなければならないと思うと、うつ病持ちの私としてはちょいとため息をつきたくなる。

「愛こそが全て」だと本や音楽の中では言っているが、老いていく時や死ぬ時にも果たしてそう思っていられるのだろうか。
正直、恐怖感しかない。でも、古今東西最終的に勝つのは愛や正義っぽいからそう思っておいた方が良いか。

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もう一つ、私は死ぬことが怖い。何度も死のうとしておいて今更何を言うんだという感じだが、死んだ後どうなるのかということをずっと考えてしまう。これは小さい時からの癖だ。
もちろんこんな自分やこんな人生を生き恥晒しながら生きるのはとても嫌だし辛いけれど、死んだ後のことが怖すぎる。

輪廻転生や天国地獄という概念を信じた方が死への恐怖は減るのだろうと思う。
今の自分の意識が全くプッツリと切れて、何もない真っ暗の空間に行くのかと思うととても怖い。

みんなその辺どう考えているんだろう。

周囲の人(彼氏)に聞いたら、「多分何もなくなると思う。無じゃないかな」と言っていた。その思想で平然と生きていられるのはメンタルが強いなぁと思った。

生きていれば必ず死というゴールがある。ゴールの先の景色は一体何が見えるのだろう。彼氏の言う通り、何もないのだろうか。それともまた別の世界が存在しているのだろうか。

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よく自殺した人はずっとその場所で地縛霊として苦しむなんて言説を聞くけれど、そういう可能性もあるのだと考えたら未遂に終わってよかったなと思う。

老いて死ぬことが本当に恐ろしい。今日もまた一日が始まって一日が終わる。その繰り返しをずっとしていって、喜んだり悲しんだりしながら日々を紡いでいく。誰かを失ったり、何かを得たりしてもまた普通の顔して生活をしていかなければならない。そうしたらいつのまにか人生なんて終わってしまうんだ。

でも私の原動力は、死への恐怖感かもしれない。もうソーシャル的に死んではいるけれど、それがあるから文章を書こうと思うし、今のうちに「愛してるよ」とか「ありがとう」とか伝えておこうと思うのだろう。

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死というものは不確実性が高い。
いつどこで誰が死ぬかも分からないし、死のうと強く思ったとてなかなか死ぬことができない。

嗚呼、時計の針は止まらない。またみんなに等しく明日がやってくる。