高校生の頃、秋の衣替えの時期に、誰よりも早く夏服を冬服に変えるのが好きだった。「おっ、あいつ雰囲気変わったな」とちょっとでも人から注目を浴びたかったから。汗ばむような暑い日でもブレザーを着て、平気なフリをして笑った。ブレザーはかわいかったし、1日でも長くかわいい制服を着たかった。
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今年私は、26歳になった。高校生のあの日から10年も経ったけれど、相変わらず10月になった途端、半袖を長袖に変える。
そうして10月も暮れる頃、ひまわり柄のワンピースを着たおばあちゃんが横を通りすぎた。黄色のひまわりは季節外れだったけれど、道がパッと明るくなった。確かに半袖になるのも頷けるほど、まだまだ外は暑い。
100均に入ると、入り口にはクリスマスグッズが並んでいた。じわっと汗をかいた身体でサンタクロースと向かい合い、「ここは南半球か!」とおかしくなってくる。
たしか8月にはハロウィンのグッズが並んでいて、それがハロウィンを迎える前にクリスマスコーナーになるなんて。あの時のかぼちゃはどこに行ってしまったのだろう。
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「おかしをくれなきゃ、いたずらするぞ」
今年は誰かに言ってみようかと思うも束の間、ぐっと思いとどまった。
そんな言葉にまで、「いたずらするのは悪だ!」とか、「おかしをくれなんて傲慢だ!」なんて意見が出てくるのも、そう遠くはない未来なのだろうか。
文脈や背景を無視したコミュニケーションは楽だけれど、ふふっと笑えるユーモアが足りない。非難や指摘を避けるために、理詰めでつくられた「お笑い」は、見ているとなんだか緊張してしまう。そういうわけで最近TVを見れなくなった。
そういう私も、いつの間にか秋服を着る理由は、「いまは秋だから」に変わっていた。半袖を着ていたら「季節外れですよ」だとか、「夏かよ」なんてリプライが頭の中で飛び交って、暑い日でも「秋だから」長袖を着るのだ。それは「みんなから注目されたい!」と長袖を着ていたあの時の感情とは違った、理屈で選ばれた長袖だ。いつしか「注目」が「批判」に変わった。
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ハロウィンやクリスマスが近づき社会が盛り上がり始めると、なんとなく「お祝いしなきゃ」と焦る。何も祝うことなく、記念することのない日々のなかで、なんだか頬がゆるんでしまう、そんな日々を過ごしたいのに。それは赤ちゃんを見たときに目尻が下がるような日々のことだ。そんなとき、「何が面白いんですか?」なんて言葉は意味をなさない。心が動いたその瞬間に、優劣をつけられてたまるか。感情が理屈を通りこす瞬間を、私はどれだけ過ごせているのだろう。
寒い寒い冬が来る前に、死んでしまった感情や、「悪霊だ!」と追い払ってしまったコミュニケーションを、キャンドルやお菓子を用意してもう一度迎え入れたい。まるで子供のころの無邪気さを、やさしくお家に迎え入れるかのように。
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金木犀の花が落ちるような秋の日に、ひまわり柄のワンピースを着て、「これが着たい気分だったから」と言える日が、いつか私にも来るだろうか。