二十時過ぎに父から電話がかかってきた。いつもと違うことが起こった時、まず最悪の事態を想定するのは性分だ。
◎ ◎
いつも無料通話アプリで連絡を取りあっている母は運転でもしているのだろうか、眠っているのだろうか、それとも……。
電話に出た。もしもしと言うと、安心の滲んだ声が聞こえてきた。
「母ちゃんがおらんのよ。そっち行ってないかと思って」
「来てないけど」頭をフル回転させた。「なにかあったの?」
「さっき晩飯食いよったら、酒飲んで癇癪起こして出て行ったんよ。電話をかけても繋がらんし、近所を探してもおらんから」
「車は」
「ある」
「何時くらいのこと」
「八時くらいかなあ」
「なんで癇癪出したの」
「いやあ、それはあれやけど、とにかく、片づけもせんでカバン持って出て行ってしまって……。そっちからも電話かけてくれんかね」
分かったと言って電話を切った。頭が混乱しかけたため状況を整理する。
◎ ◎
二〇二三年、冬。母は五十五歳でパートに出ており、職場の二十代の女性数人と仲が良かった。独身者もいたので誰かの家に行っているのかもしれない。近所に住む友人もいたし、徒歩二十分の範囲に駅がある。
気になることは多々あったが、あとは本人に聞いたほうが早いだろうと思い、母に電話をかけた。呼び出し音が鳴る。
一回、二回、三回……。
出ない。
通話を切って画面をしばらく見つめた。
母の職場に若い男性も数人いたことが頭をよぎる。仕事の話をするさいには必ず彼らの名前が出て、極めて親しい仲のように感じられた。母が飲酒しているのなら相手が車を出す可能性もあるだろう。
◎ ◎
もう一度、母に電話をかけたが出ない。
熟年離婚という言葉が頭をよぎって消える。
家庭内のトラブルで父が家を出て行くことはまれにあったが、母が出て行き、ましてや連絡がつかないなんてことは一度もなかった。父の電話には出なくても自分の電話には出るだろうという甘い期待が打ち砕かれて、現実が目の前に突きつけられる。
母が途方もなく遠くにいってしまったような孤独感を覚えた。
何歳になっても私は二人の子どもなのだと改めて感じる。職を得て世帯を持とうと、ローンを組もうと、転職して引っ越しをしようと、身体を壊そうと、これからどんなライフイベントを迎えようと、自分はあの両親の血を引いた子どもなのだ。
なぜこんなことになってしまったのか、私は知らなくてはいけなかった。
父に電話をかける。
「もしもし。やっぱり出なかった」
「そうなんや。本当、どこに行ったんやろ」
「なにがきっかけで出て行ったの」
「いやあ、それはまあ」
「なに」
「俺にも分からんのよ。テレビ見ながら話しよって……まあ……仕事辞めるって言ったけどねえ」
ため息も出なかった。そうきたかとも、やはりともいう思いが胸に落ちる。
父は約二十年前に行商人を辞めて以来、警備の仕事を転々としていた。三ケタあった借金を返すために母は昼夜問わず働き、父も夜勤に出ていたが、二年後に自己破産した。両親は今でもフリーターだ。父は六十八歳になろうとしていたが、家には貯金も年金も退職金もなく、子どもも私だけだった。
◎ ◎
こんな状況で生きていることが無性に恐ろしくなり、息でも止めて死んでみようかと思う日もあった。だが、私は今日も最悪な状況を想定しながら生きている。
一呼吸置き、口を開いた。
「車にはいないの」
「見てないよ」
「覗いてみたら」
「いやよ。中に誰もおらんかったら変な人やん」
「……」
「父ちゃん、警察に捜索願を出しに行こうかと思う」
「交番閉まってるやろ」
「あの、あそこの○○署なら夜でも開いてるやろ。歩いて行こうかと思って」
照明が半分消された夜の署内で、父がカウンターに向かって書類を作成する光景が思い浮かんだ。向かいに座る夜勤の警察は、仕事だと割り切りながらも父の性格に骨を折ることになるのだろう。
「……夫婦喧嘩の愚痴なんて取りあってもらえんよ」
「……」
「もう少し待ってみたら。明日になっても帰ってこなかったら行けばいい」
なるようにしかならないという思いで電話を切った。恐れることにも不安になることにも疲れてしまった。ままならぬことのほうが多いんだから、いっそすべて壊れてしまえとすら思う。
◎ ◎
母から電話があったのは二十三時ごろだった。
「車にずっとおったわ。電話にも気づかんかった、ごめんごめん」
「それは、よかった。友達の家にでも行ったかと」
「それはない。他人に迷惑はかけん」
私も他人なのかという問いが浮かんで消えた。言いたいことは山ほどあったが、言葉になってしまう前に霧散させて、これでよかったんだと自分に言い聞かせる。
両親が法にも倫理にも触れず、警察や他人にも迷惑をかけずに済んだ。私も電話をするだけで済んだのだから、これ以上の結果はないだろう。
◎ ◎
そう思うと、胸に湧いて出た恐れや不安たちが急に滑稽に感じられた。こんなに早く解決し、すべて徒労で終わるのなら、あんなに思い悩むこともなかったのだ。
一つの出来事から最悪の状況を想定して予防線を張り、自分を守ろうとするのも考えものなのかもしれない。
これが母の〈十五の夜〉ならぬ〈五十五の夜〉だった。