メイクでは、普段はアイラインを引かない。引いたとしても、ついているかわからないくらい薄く引き、午前の終わりには消えて見えなくなっている。
しかし、他人にメイクをしてもらうと1日残っている。メイクも自分でするより圧倒的に濃いメイクをしてくれるので、いつもより華やかな見た目になれる。アイラインを引かないのは、手抜きメイクとして簡単に顔が仕上がるからだ。メガネをかけることも多いため、しっかりアイメイクを施したところでちゃんと見えることはないだろうと思っている。
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普段はすっぴんと大きく変わらないくらいの薄いメイクをしている私。ある日、たまには、と思いメイク講座を受けてみることにした。代わり映えしないメイクや、自分の技術には天井が見えている気がしたので、新しいメイク方法や技術の足しになればと思った参加を決めた。先生がメイクをしてくれてポイントを説明してくれる形式だったのだが、いかに普段のメイクが手を抜きすぎているかがわかった。
改善点を踏まえて施されたメイクはとても華やかで、いつもしないアイラインもガッツリ引かれていた。私はブラウンのラインを引くことが多いのだが、そのときはブラックで引かれていた。ラインを引いているとわかるくらいの主張はあった。目元の印象もぱっちりとしていて強調されたように感じた。
いつもよりも濃くメイクをしてもらった私は、いつもしない自撮りをしてしまうほどテンションが上がっていた。気をつけるところがわかるだけでこんなにも映えるメイクができるのだと関心していた。
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せっかくしてもらったメイクなので、崩さないようにマスクはつけず、顔も、いつもよりも触らないことを意識して街を歩いた。夕方から夜にかけて予定があったので、それまで少し時間を潰す。スキマ時間でできることをこなしながら時間を潰し、予定の時間となった。人と会い、少し距離を詰めて話すこともあった。何人かいた場所だったのだが、たまたま隣に座っていたために話していた年下の女の子がとてもきれいに可愛くメイクを仕上げていたのに目がいった。
私も今日はいつもよりも濃いメイクをしているからか、ビジュアルを仕上げているのには自信があった。肌そのものからきれいな女の子に見とれながらも、気持ちは対等にいられるような気がした。
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予定を終えて自宅へ帰った。お風呂に入る前にもう一度メイクをちゃんと見たくて鏡を見ると、時間の経過で崩れていた。特に気になったのはアイラインだ。普段引かないことに加えて、今日に限って黒くしっかりと引かれていたので、線がぼやけて周りに滲んでいた。いわゆるパンダ目である。少し暑い日だったので、汗をじんわりかいていた。おそらく早い時間からにじみ始めていたのだろう。
かなり崩れた顔の完成形に近いにじみ方をしており、パンダ目、という言い方がぴったりな目元になっていた。夕方の予定が始まる頃にはすでに崩れきっていたのかもしれないと考えると、至近距離で話していたあの女の子はどう思ったのだろうと考えてしまった。自分で見てハッとするくらい怖さも感じられたので、きっと彼女も怖かっただろう。
とたんに申し訳ない気持ちになった。顔が触れるのではないかという距離で話した瞬間もあったので、こんなに醜態というにふさわしい顔を見せてしまったことが本当に申し訳なかった。
彼女に変な印象がつかないことを祈るばかりだ。メイクが薄いと、崩れても見た目には大きく影響しない。そのため、濃いメイクをしたあの日も、崩れる範囲はたかが知れていると思っていた。いつから崩れていたかはわからないが、電車での移動中も、歩いているときにすれ違った人たちからも、身だしなみに気をつけない人、という見方をされてもおかしくないほどだ。メイクをしてもらって気分が弾んでいたために、落ち込む落差も大きかった。
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その日以来、メイク崩れはこまめに気にするようになり、アイラインを引かない理由に、パンダ目にならないため、という理由が付け加えられた。いつもよりちょっとだけおめかしをするときは、アイラインは細く、崩れてもほかに馴染むメイクをするようになった。
周囲の目線も気にするようになり、メイクに向ける意識が変わった。この出来事は、メイクや周囲からの視線を気にするきっかけとなったこととして少し感謝もしている。