春になると思い出す人がいます。

中学校の頃、わたしは自分のことが嫌でした。
学校では相反して、いつも1人。会話はほとんどが家族とだけ。人間不信で人間嫌い。希死念慮だけはいつも近くにいて、ふとした時に囁きかけてきました。そしてわたしは自分の感情や考えを適切に表現することがとても難しい状態でした。

そんなわたしの昔話にお付き合いいただけたら嬉しいです。

◎          ◎

これは私と、中学校の先生のお話です。
はじまりはじまり。

中学生の私は人に心を開けず、傷つきやすく、よく泣く子どもした。

「授業中の方が、好き。ノートを取ったりやる事があるから」

そう思っていました。
いつも眠ったフリをして、休み時間を過ごしていました。

その先生に出会ったのは中学二年生の頃。時期の記憶は定かではありません。「穏やかそうな人」というのが先生の第一印象でした。

ある日、私が授業中に号泣したのをきっかけに(なぜ泣いたのかは覚えていませんが)先生は私を気にかけてくれるようになりました。休み時間のたびに、「元気ですか?」「今日は何かありましたか?」と、お話してくれました。お話と言っても、人間に心を閉ざしていた私はただ返答するだけでしたが。(ゴメンナサイ)

先生ははじめて心を開けた大人でした。

先生は素敵な人でした。優しい豊かな心。軽やかに、先生らしい言葉を言葉を紡ぐ人でした。こんな大人になりたいと、私は心から思いました。人に心を開いて信頼関係を作れたのは私にとって初めてのことで、嬉しかったのです。
先生は生まれてはじめて私をありのままに肯定してくれた人でした。

◎          ◎

先生は春が好き。それを知ったのは課外授業の時でした。先生は私にどの季節が一番好きかと言いました。

「冬です。虫がいないので」

私の答え方はとても、素っ気なかったと思います。本当は人が怖いだけなのに「人に興味がないから」「人間が嫌いだから」なんて言い訳をして、人との関わりをしなかったからです。その日はふと、先生に質問を返しました。

「先生はどの季節が好きですか?」

先生は嬉しい顔をしました。

「僕は春が好きです。命の息吹を感じるので」

と言いました。とても素敵な回答だぁ、と思いました。けれど人間嫌いの私には春はあまりにもあたたか過ぎました。命の息吹を感じるほどの余裕もありませんでした。

◎          ◎

私は先生が大好きでした。

ある日、事件が起こりました。
母が進路のことを先生に相談しました。先生は母に「教員がよく面倒を見てくれる校風の高校がいいと思う」と話していた事が分かったのです。

些細な一言です。ですが、それは当時のわたしには、とても衝撃を与える言葉でした。先生とわたしとの間に感じていた、つなが、絆のようなものを否定されたように感じました。
私はどういうことかを先生に聞こうと思いました。けれど、こればかりは聞かれても困るだろう、とも思いました。私は結局、聞くことができませんでした。

この出来事がきっかけで、雪だるまのようにもやもやとした気持ちが広がったのです。先生と話していると辛くなりました。
私は先生を避けるようになりました。話しかけられても酷い態度を取ったのです。
その内に、先生も段々と話しかけてこなくなりました。
私の心はまた固くなりました。

卒業式の日。式が終わると、わたしは一人で足早に下駄箱に向かい、靴を取り出しました。心残りがあるとしたら。
私は下駄箱からなるべく自然に先生のいる教室に、ちらりと目をやりました。先生と、目が合ったような気がしました。

◎          ◎

わたしは顔に感情を込めないようにして、目を逸らしました。なるべく冷静に見えるように、身体を硬くし、逃げるように帰路へと向かいました。

「もう、伝えることはできない」

鉄でできたスプーンを噛んだときのような嫌な感じが、胸に広がりました。
悲しみ、後悔、自己嫌悪。わたしは家に帰って涙を流しました。

それから、わたしは季節を繰り返しました。あの頃よりは少しばかり、人生経験も積み重なったように感じます。人とも話せるようになりました。
今ならわかります。先生がわたしにくれたものは愛情と呼ばれるものだったのだなぁ、と。やっと最近気がつきました。先生とわたしは生徒で、その間にあったものは目に見えなかった。けれど、間違いなくそこに、つながりはありました。やっと、気がつきました。

春が来ると必ず、あの会話を思い出します。
芽吹く植物たちを見ると、思い出します。
私に心の触れ合いのあたたかさを教えてくれたのは先生でした。
理由も何も言わずに避けてしまって、酷い態度を取ってしまって、ごめんなさい。
人間や、この世界に絶望しなくて済んだのは、先生がいてくれたからなんですよ。

先生。私は今、春が好きです。