こっそり他責はこの世界を楽に生きるコツ。私はそのままでいい

昨年の自分が書いたと思わしき「2024私の宣言」のエッセイを改めて読み返してみると、いわゆる「おまいう(お前が言うな)」すぎて鼻で笑ってしまった。
「何かのせいにはしない」と言っておきながら、その病的とも言える依存心はいまだに変わっていない。
今も常に自分以外の何かに原因を求めて何かのせいにしたくてしょうがない。やはり、人はそう簡単に変わりはしないのだということを改めて実感した一年であった。だからもうここは開き直って、今後も何かのせいにして生きていくことをここに宣言したいと思う。できそうもないことを宣言するのは良くないと思った。2025年は晴れやかに他責人生を驀進していこう!
イライラしたら鉄分不足のせいだし、頭が痛くなったら低気圧のせいだし、寂しいのは生理前のせいだし、気持ちが荒れがちになるのは春のせいだ。もうそれでいい。背伸びして生きても何もいいことなんてない。
最近ありがちな「そのままのあなたでいい」というムードを天邪鬼にとり、「そうやって目眩しして……」と私は掻い潜ってみせるからなとまで思っていた。一体何に追われているんだ。
でも、そのままでいいとしか言いようがないことはあまりにも多い。
鈍臭いが故に色んなところに足の小指をぶつけまくるのもトレーニングでどうにかなることじゃないし、寝っ転がってスマホを見ていて顔面に直撃させてしまうのもどうにもできない。生きている人より冥土にいる文豪に思いを馳せてしまうのも、しょうがない。
もう、「そのままでいい」論者になるほかない。
「そのままでいい」と「何かのせいにする」を同列で括るのは見当違いかもしれないが……。
でも、この世界のすべての事象を自責思考でまかなっていたら、しんどいことこの上ない。
年の途中までは自責にして結構頑張っていたと思う。
自分が発達障害なのも社会にうまく溶け込めないのも、私の運が悪かったとか育て方が悪かったとか、環境が良くなかったとか自分や周囲のせいにした。
それはそれで結構苦しいことで、やはり他責こそが一番楽だと思うに至った。
もちろん、これは内面世界の話である。外の世界や人間社会で他責ばかりにしていては、嫌われるし責任逃れだと思われる。
こっそり他責がラクに生きるコツなのかもしれない。
「あぁ、なんかムカムカするなぁ。あんたのせいだ!」と目の前にいる人間に面と向かって言ってしまえば、関係性に破綻が起きることは間違いなしだ。
表情はにこやかでも心の中でこっそりと、「あんたのせいだ!」とやるのだ。おっそろしい奴だが、それでいい。人は秘密を隠し持つ生き物なのだから。
こっそり他責にしてこの世をラクに生き延びよう。
間違っても表情には出さないように!
と言いつつも、私は考えていること全てが表情や肉体に表れ出てしまう哀れな特性を持つ人間なので、肉体をコントロールできる器用な方のみがこっそり他責を実践することができる。
あぁ、なんかやけに眠いなぁ。冬の日光不足のせいだ!お正月のせいだ!自律神経のせいだ!
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