私の足の小指の爪は、小さくて少し独特だ。平らではなく、ふくらみがあって立体的。薬指側に高い場所があり、外側に向かってなだらかな角度がついている。山型のような、三角形のような形をしている。爪切りの角度が難しく、なかなか思うように切れない。

「小指の爪って切りにくいな」と毎回思いながら、少しずつ慎重に形を整えるのが習慣だった。私にとっては当たり前で、それが特別嫌だとか、変だと思ったことはなかったけれど、手間がかかる切りにくい存在だなという程度の認識だった。

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その日も、いつものように足の爪を切っていると、隣に座っていた母の足が目に入った。何気なく母の足の指に目を向けて、思わず「あれ?小指の爪の形、一緒じゃない?」と声を発した。母は知っていたかのように「そうだよ」と言った。そんな反応を見せた母に私は驚いた。「そんなとこ似てた?」といった少し驚いたような反応をすると思っていたからだ。

話を聞いていると、ずっと前から知っていて、思っていたことだったという。しかし、母は改めて爪を見比べて、「ほんとだ。おんなじだ」と笑った。次の瞬間、私たちは足を並べ、爪を見比べながら「おんなじ!」と声を揃え笑いあった。そのなんでもない一言が、私にはとても新鮮だった。

私と母は価値観や笑いのツボは似ていると思っているが、見た目は似ていないと言われることが多く、両親のことを知る友人からは「絶対パパ似」と言われるのが当たり前だった。だから、私は母にあまり似ていないと認識している。そんな私にとって、母との共通点を見つけることは、少し珍しい出来事だった。

しかも、それが足の小指の爪というなんとも地味な場所だったことが、少しおかしく、でも妙に心に残った。あの日、何気ない会話の中で「おんなじ!」と言ったことが、私には何か大切なものをもらったように感じられた。

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似ていないということに関して、プラスにもマイナスにも捉えておらず、そういうものなんだろうと感じていた。それ以下でもそれ以上でもなかった。

しかし目で見てわかる、似ている個所が少なかったことに寂しく思っていたのだと、爪をきっかけに自分の気持ちに気が付くことができた。だから今はむしろ、似ていなくて良かったと思う。似ていないからこそ、自分の気持ちに気が付くことができ、小指の爪のような小さな共通点を見つけたときの喜びが、こんなにも記憶にも心にも残ったのだと思う。

それ以来、爪を切るたびに母のことがよぎる。特に切りにくい三角形の小指の爪を見ながら、「おんなじ!」と笑い合ったあの瞬間が蘇る。あの日、母の足に目を向けなければ、一生爪なんか見ることがなかったかもしれない。「一緒じゃない?」と疑問を投げなければ、「おんなじ!」と笑い合えなかったかもしれない。何気ない日常の中で思ったことを発してよかったと思っている。

私の足の小指の爪は、小さくて三角形で、誰かに見せることもほとんどない。そんなところに、秘めるように母とのつながりを感じられることが、私にとっては小さな誇りのように思えている。

誰にも気づかれない私と母だけの「おそろい」だ。