焼肉屋に行ったら肉を食べるというのは常識というか、まず言うまでもない行動である。
肉が嫌いな人やヴィーガンはそもそも焼肉屋に行かないと思うし、「肉を食べに行く!」という確固たる目的のために人々は店に足を運ぶ。

でも、子供時代には大抵選ぶ権利というものは与えられず、嫌でも大人たちの中に紛れながら着れられていくばかりであろう。
東北の祖父の家に長期休みの際に帰省すると、いつも馴染みの焼肉屋やジンギスカン屋に連れて行ってくれた。そういう時は親戚が大量に集まるので、軽い宴会である。

◎          ◎

そんな中、私は小学校に上がる前までは全く肉を食べられない子供だった。メニュー表の肉も実際に運ばれてきた肉も、赤くてヌラヌラといやらしく照っていて「これを食べるなんて」と幼い心で密かに思っていた。同じ理由でカニやエビも駄目で、それは今も変わっていない。

母の膝に乗せられて、母が焼けた肉を美味しそうに喰らう姿を間近で見ていたが、そそられたことは一度もなかったのである。
だから焼肉屋に行っても肉を食べなかった。焼肉の甘口だれをかけた白米さえあれば私の腹は満たされた。あれはあれで、とても美味しかった。食べたあとは他の大人たちが美味しそうに食べている様子を見ているのが好きだったように思う。みんなが久々に集まって、宴会の楽しげな空気が流れているのも良かった。

デザートには必ず、かぼちゃアイスを食べた。ミニサイズのかぼちゃの皮を丸ごと使用していて、中にアイスクリームが入っていた。それをシメに食べるのが何よりの楽しみだった。

◎          ◎

それから小学校に上がって、地元で家族と行く時も少しずつ牛肉、豚肉、鶏肉と順々に食べられるようになっていった。
あんなに嫌だった赤い視覚的刺激を、いつの間にか受け入れるようになっていた。自分でも地味に嬉しい成長だと思った。

高校生の時には、学校帰りに駅ビルに入っている店で一人焼肉を嗜んだこともある。
食べ放題の店だった。結構お高い価格だったためランクは一番下にした。それでも2〜3000円はしたので高校生には痛い出費である。でも私はナウでヤングな人達のように何か部活をしているわけでも恋愛をしているわけでもなく、ただ一人で無気力にサブカルチャーをディグっている生ける屍と化した何かだったのでそこまで痛手でもなかったように思うが、根がケチなのかもしれない。

◎          ◎

今は、以前にも書いたように女性特有の月1の行事の時に赤身肉を食べることが多い。本日もカットステーキを食べて、次の予定日に備えた。もうお肉がないと生きていけない。

一度精神を鍛える目的でヴィーガンになったこともあったが、顔色は土気色に変色して痩せ、どんどん覇気がなくなっていった。齢20歳前後にして肌も潤いがなかった。
やり方の問題もあるのかもしれないが今思えばあれは立派に貧血症で、やはり動物性のものを有り難く美味しく頂きながら生活をしていくのがいいと思った。

◎          ◎

月1の行事が来るようになった女性の身体というのは、やはり血や肉体を作るのに必死なのだと思う。
少女時代の私ならタレかけごはんだけでも全然平気だったが、大人になるにつれて身体に合わせて自然に好みが変わっていったのかもしれない。
ということは、生理が上がったらまたお肉を食べたくなくなるのだろうか?タレかけごはんだけで大丈夫になるのだろうか?と思った。今から少し楽しみだ。