もう二度と戻らない祖父との日々が蘇る、真っ白な茶臼山
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普段、雪なんて降らない。降っても積もることは殆どなく、すぐに溶けて水になる。だから特別雪が残っている時は、哀愁やら愛おしさやらを引っさげて頭に浮かんでくる思い出がある。
幼少期、正月三が日は母と母方の祖父の三人で決まって愛知県の茶臼山に二泊三日の旅行に行っていた。それは私が小学生の頃まで続いた毎年恒例の行事だった。同じ県内からとはいえ、隅から隅への移動だ。車での移動は長く、途中途中で休憩を挟みながら真っ白になった茶臼山を目指す。
都心部を離れ山の中へと向かう途中、いつも立ち寄るところがあった。たった一本佇む柿の大樹。祖父は毎年、柿の木の持ち主に箱一杯のみかんを持ってあいさつに行くと、その木の写真を撮らせてもらっていた。その間、母と私は車の中で待つのだ。
特にすることもなく、即席のゲームをして待ったりする。けれど柿の木を撮る祖父の姿が好きだった。だからある程度ゲームをして飽きてくると、写真を撮る祖父の姿をぼんやりと眺めていた。
写真を撮ることが趣味の祖父は私のこともよく撮ってくれていたので、小さい頃の写真はたくさんある。けれど今は撮ってくれる人がいなくなってしまって、私のアルバムも更新が止まってしまった。
ホテルでは正月に宿泊者参加型の餅つきがあり、私はこれも好きだった。つきたての餅は柔らかくて甘くておいしかったし、三人で食べるからおいしかったんだということが今ならわかる。
ロビーにある売店では毎年一つ、やまね工房さんのぬいぐるみを買ってもらっていた。ヤマネ、カヤネズミ、モモンガ、リス、と一匹ずつ一人っ子の私に動物の友達が増えていくような感覚だった。初めてお迎えした時だけはヤマネとカヤネズミの二体だったが、そんな二体はもう毛も寝てしまってぼろぼろで、年代物だと見た目でわかるような風貌になってしまっている。けれど、それでもやはり思い出の詰まったぬいぐるみたちで、どの子も今でも手放せずにいる。
スキーができない私は茶臼山高原に行くと毎回そりで遊んでいた。後ろに祖父が乗ってくれて、前に私。ただ滑っているだけなのに、ただただ楽しかった。ホテル前の広場で雪遊びをしていた時もあった。一度、かまくらに挑戦したことがあったけれど、結局完成させられなかった。けれど記念に祖父が写真を撮ってくれて、今でも大切な思い出だ。
忙しない日々を送っていると幼少期のちょっとした思い出をこうしてじっくり思い出すことなく、雪を見てもものの数秒、少し懐かしく寂しい気持ちになるだけで終わってしまう。今を生きるとはそういうことなのかもしれない。
以前、今回のように昔を懐かしむ機会が一度だけあった。ヨーロッパ旅行でスイスに行った時。辺り一面真っ白で、思い出の中の茶臼山に重なった。移動中のバスの中で不覚にも泣き出しそうになった。
私にとって雪は今ではもう二度と訪れない、とても大切な日々の思い出を綺麗に飾ってくれる残酷な装飾なのだ。そんな装飾も私はとても愛おしい。
この愛おしさが、大好きだった今は亡き祖父にも届きますように。
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