うちの家族は新年早々、「あけましておめでとう」を言わない。私はこれに関して特に違和感を覚えたことはない。世間はどうなんだろうか。家族間で「あけましておめでとう」を言い合っているのだろうか。

親戚など、少し関係が遠い間柄だと言うケースもあると思う。例えば、お正月に家族で母方の実家に行った時、父が母方の両親に「あけましておめでとうございます」と言っていた。けれど、母は実の両親には言っていない。普通のことと言えば、普通のことなのかもしれないけれど、考えてみると興味深い。

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とあるアニメで印象に残っているシーンがある。女子高生が友人の家では家族で「あけましておめでとう」を言い合うと聞き、自分たち家族も言い合おうと持ち出す。家族4人で正座して、いざやってみたものの、なんだかぎこちない空気が流れていた。そして、自分たちはそういうことが苦手な家族であるということを女子高生は実感するのであった。

個人的にこのシーンは大変興味深かった。きっと、私の家族も同じような結果になるだろうなと感じさせられた。

「あけましておめでとう」を友人や職場の人たちには言うのに、なぜ、家族間では言わないのか。おそらく、うちの家族は改まったことをあえて口に出すのが向いていないのかもしれない。改まったことを言葉にすると、たちまちよそよそしく感じてしまうのである。家族という一番近い間柄だからこそ、わかってはいるけれど口に出さないのだと思う。

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お正月と同じようなケースで言うと、母の日も当てはまりそうだ。数年前、私は仕事帰りに百貨店で可愛らしい母の日用のメッセージカードを見つけた。

私も母も改まったことが苦手なタイプかつ、母があまりプレゼントを好まないタイプなので、母の日にプレゼントを渡す習慣はあまりなかった。けれど、せっかく可愛いメッセージカードを見つけたし、手書きのメッセージカードはきっと、母も喜んでくれるだろうと思い、購入した。そして、一言メッセージを添え、渡した。

おそらく、母は嬉しかったんだと思う。けれど、そのメッセージカードのやり場に困ったのだろう。つい最近、部屋の整理をしていた時に、引き出しから、そのメッセージカードが出て来た。その引き出しは特に母専用という訳ではない。それを見て、なんとなく母の気持ちが想像できた。

メッセージカードを受け取ったのは良いけれど、その後の対応に困ったのであろう。とりあえず、引き出しに入れておくかといった具合だったのだと思う。私はメッセージカードを母に渡して満足していたけれど、もらう側の母の立場に立ってあまり考えていなかったなと少し思った。もちろん、気持ちを形としてプレゼントするのは悪いことではないけれど、改まりすぎると、やり場に困ったり、なんだかぎこちなくなってしまうのだろうなと思った。

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一方で、どんどん言葉にした方が良いケースもある気がする。例えば、「ありがとう」。友人や職場の人たちだけでなく、家族だからこそ、ささいなことに関して「ありがとう」と言ってもらえるとなんだか嬉しくなる。

「ごめんね」も当てはまるかもしれない。ちょっとしたことでも「ごめんね」と日頃から言っておくと、お互いが気持ちよくやり過ごせる気がする。

改まったことは言わずとも、日頃からちょっとした声かけを積み重ねることで、長く良い関係を築けるのではないだろうか。逆に日頃から、そうしておくことで、あえて改まったことを言う必要がなくなり、一石二鳥かもしれない。