「愛」

それを考えると私は大きく3つの愛を思い浮かべる。

お母さんの愛、支援者さんの愛、恋人の愛。

それらの愛は 今に至るまでの”私”を一人の人間として成長させてくれた。

今回は私の成長を追いかけながら、私が今まで受け取ってきた愛を話していこうと思う。

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お母さんの愛。 

まずはこの世に生まれ落ちて受け取る最初の愛だ。

お母さんは私が生まれてからずっと私の話を聞いてくれ、数え切れないほど私はお母さんからめいいっぱいの愛をもらって抱きしめて生きてきた。
習い事など、お母さんはやりたいことはなんでもやらせてくれた。
もちろんやめたいと思ったら、すぐやめさせてくれた。

そして私は同級生よりも先生や保護者に好かれる真面目な生徒だったので先生に怒られることもなかったし、だからこそ怒られることで経験する苦しみも厳しいことも必然的に経験しなくて済んでしまった。
そう思えば、私は今まで挫折をしたことがなかったのかもしれない。

のちに書くことだが、とくに読んでいる学生さん達に言いたい。
”叱られる””怒られる”ことを経験してないことがどれだけ残酷なことなのかを。

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支援者さんのNさんとMさんの愛。

怒られなかったことが悪かったのではない。
経験したことがないから、そういうチャンスに恵まれなかったからしょうがないと思う。

ある日和太鼓教室で「厳しさこそ優しさなんだよ」と聞いたことがあった。
私はその言葉がわからなかった。

「厳しさが”優しさ”って何?キツいことに変わりはないじゃん」

そう思っていた学生の頃。

Nさんはお母さんがしなかった”厳しく怒る”ことをした。
職員さんの時間外に私が事務所に泣きついてきた時にも引きずり出した。

Mさんも後ろから見守ったり、Nさんと同じく注意喚起をしてくれた。
私はお母さんにされなかった”厳しく怒る”を初めてされてとてもびっくりした。
お母さんがたくさん愛してくれて甘えさせてくれたことを「甘」だとするならば、NさんとMさんがしてくれたことは「厳」だ。

今ならはっきりわかる「厳しさは愛だ」。

お母さんはたくさん話を聞いてくれて甘えさせてくれたが、裏を返せばほとんど怒られたことがなかった。
その代わりをNさんとMさんがしてくれたように思う。

今思えばお母さんが亡くなった17歳を過ぎてももし、お母さんが生きていたらお母さんとしたであろう喧嘩、お母さんとしたであろうぶつかり合い、 お母さんにされたであろう叱り、それを今してくれているんだと思う。
NさんとMさんが今してくれていることはお母さんがしたかったこと。

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そして恋人の愛。

三人目の恋人と家でゴロゴロしていたある日、その人は突然私の腕を出し、電気シェーバーを出して私の腕毛をビーっと剃り始めた。
ある時はいきなりデパコスに連れてかれてブランドの名前すらも知らないコスメの中で「この中から好きなもの選べ」と言われた。

コスメの名前すらも知らない上お金ないのにいきなりデパコス行く予定が決まって、今選べなんて無理ゲーすぎると思ったがその日はコレと指した適当なコスメを買って帰った。
でもその出来事がなかったら今頃私はメイクに目覚めなかった。

メイクに興味を持ち大好きになり、彼だけじゃなくて自分が元気になるためにメイクをしてこんなにも綺麗になることはなかった。

恋愛のためにメイクしていたはずが、いつの間にか自分のためにメイクするようになっていた。
何より、恋愛の上で大切なことの一つ”内面だけでなく外見を磨くことの大切さ”を学んだ。

私は一人目と二人目に自分はどんな人と相性良く一緒にいたいのか、お互いわがままではいけないこと、自分の反省点はどこか ”自分が変わらなければ”というきっかけを与えてくれた。
三人目は内面だけではなく、メイクと身だしなみを整えることが大事と教えてもらった。
その他にも数えきれない様々な事を教えてくれた。

恋愛で相手と向き合うとはゆくゆく自分と向き合うことになる。恋愛とはすなわち自分との向き合いなのである。
そして私は今の彼とお付き合いして初めて 愛し愛されるとはどういうことかを学んだ。

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三人目の人からもたくさんのことを学んだけどお別れしてやっと私はちゃんと愛されてなかった、 愛されるってこういうことだったんだと知った。

私はお付き合いしてきた人達を嫌いになったことがない。
むしろ感謝している。
体を張って私に大切なことを教えてくれたのだから、今の彼に出会えたのも今までの恋人達の集大成だ。

お母さんが与えてくれたのも愛だった。
NさんとMさんからもらえたのもまさしく愛だった。
今までの恋人も。

もちろん今まで出会ったすべての人達もまさしく愛だ。
出会う人は私にメッセージを届けるために現れるという。

つまり、出会う人はみんな愛なのである。