私は、雪が少ない地域で育ちました。目にすることがあまりなかったので、幼い頃の私にとって雪は、珍しいもの。テレビや絵本の世界の中で起きる、遠い世界の出来事のような存在でした。

そんな雪へのイメージががらりと変わったのは、小学校低学年の頃。家族で冬の北海道に、旅行に行った時のことです。

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初めての北海道。初めてのスキー場。そこで見たふわふわした雪の、美しいことといったらありませんでした。派手な色をしたスキーウェアにつく雪は、全ての雪の結晶。人間の手ではとても作れそうにない小さな芸術品に、私は目をみはりました。しかも、雪の結晶は、無限に空から降ってくるのです。

それは、私の想像をはるかに越えた体験でした。絵本のページの上で見た雪よりも、ずっと美しかったのです。純白の雪で覆われたスキー場の全てが、私には魔法でできているように思えました。

「雪って、こんなにきれいなんだ!」

雪のイメージが、リアリティをもった美しいものへと刷新されてからというもの、私は、雪を見るたびに心が踊るようになりました。

もちろん、近所で降る雪は、寒い北海道のものとは異なります。積もることはほとんどなければ、雪の結晶なんて夢のまた夢。それでも、旅行先で見た雪の思い出と重なって、どうにも胸が踊るのです。そんな雪への想いは、中学生になっても、高校生になっても、変わることはありませんでした。

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私は寒がりで、冬が苦手な人間に育ちましたが、雪が降るとなれば、嫌な気持ちは帳消しになりました。気温が下がると聞いても、雪が降ると聞けば、途端にどうでもよくなるのです。街中を覆う雪、シンと静まり返る世界。それを想像するだけで、ワクワクしてきます。

大人になった今も、雪が降るという天気予報を聞くと、心が踊る自分がいます。いつだったか、母が「手放しに雪に喜んでいるうちは、子どもだって証拠ね」と言っていたことがありました。確かに、雪を純粋に喜ぶというのは、子どもの特権なのかもしれません。

大人になった今は、私自身、手放しに雪を喜べているかというと、そうでもない気がします。雪が降った日の翌日の、凍った道路の怖さも知っていますし、電車が止まるかもしれないという実際的なことが、気にならないわけではありません。さすがに大人になったのだと思います。

雪がどんどん降ってくるのを見て、「かまくらを作ろうよ!」と兄と一緒に庭へ飛び出していた時代は、やはり終わったのです。「こんなに降って、仕事に行けるかな」とか、「どこかで大きな被害が出ていないといいけど」などと考えるくらいには、私も大人になりました。

でも、予報になかった雪を見て、ちょっぴり嬉しくなるくらいの心は残っています。灰色の空から白いふわふわの雪が舞い落ちてくるのを見ると、それが雪の結晶ではなくたって、少しだけ心が浮き立つのです。

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雪は、やっぱり私にとっては珍しいものなのだと思います。年に1度か2度、思い出の雪と重ねて楽しむくらいの存在なのですから。けれど、雪を見て心が弾めば、自分にも子ども心が残っていると分かるから。あの日みた雪が、まだ自分の心の中では溶けていないと分かるから。だから、私は雪が好きなのでしょう。

雪は、絵本の中の出来事ではなくなりました。でも、もしかすると、私にとって雪は、魔法に満ちた存在のままなのかもしれません。