製菓店の娘に生まれた私はパックに入った卵を見たことがなかった

結構、恥ずかしいので隠してきたことなのだけれど、金銭感覚が長らくなかった。これだけ聞くと「お嬢様だったの?」なんて勘違いされるかもしれないけど、全然そんなことはない。好きなものを好きなだけ買ってもらえる家庭ではなかったし、むしろ実家は質素だったと思う。ただ、一般家庭と比べると少し特殊な環境だったのだ。
わたしの実家は明治くらいから長いこと製菓店を営んでいて、お菓子作りに必要な材料は業者や牧場から直接仕入れていた。枕くらい大きな餡子に、米俵のような砂糖に小麦。レンガのブロックぐらいのバター。ドラえもんのひみつ道具にある「ビッグライト」を当てられたみたいな食品に囲まれて、わたしは育った。
さらに、親戚や祖父母が農家だったおかげで、野菜は送ってもらえる。生まれは平成だけれど、物々交換をしたりお裾分けをもらったり、常に冷蔵庫はモリモリ&パンパンなので外食もほとんどしなかった。そのせいか、日常生活でスーパーに行く必要がほとんどなかったのだと思う。
そんなわたしのエピソードトークとして一番強烈なのが、「卵」の話だ。小学生の頃、祖父母と一緒にスーパーに行った時のこと。「卵をとってきて」と頼まれたのに、わたしは卵を見つけることができなかった。
なぜなら、家で使う卵は業者から段ボール単位で届くものだったから。スーパーの透明なプラスチックケースに入った卵を、卵として認識できなかったのだ。
これが金銭感覚の欠如を、明確に自覚し始めた瞬間だったと思う。卵ひとつ取っても、どのくらいの値段が適正なのか、安いのか高いのかがわからない。そんな状態で上京したから、生活の感覚を掴むのに苦労した。例えば牛乳ひとつにしても、覚えた気で気でいたメーカーが地域限定品だということを知らなかった為に、かなり飲み比べをした。成分無調整しか飲んだことがなかったので、調整されている牛乳があることに衝撃を覚えた。たしか乳飲料というらしい。
それに、特売品の食材を買ってみても、実家で食べていたものとは全く違う味がして、「美味しい」と感じるものに出会えない。たまに「これは食べられる!」と思っても、値段が高くて継続して買うことは難しい。無農薬の野菜が食べたいわけではなく、新鮮なものばかりを食べていたせいで、こんなに困ることになるとは……思ってもみなかった。
お金と食生活の折り合いをつけるのは、いまだに難しい。だけど、上手に買い物ができた時はすごく嬉しい。ちょっとした達成感がある。ファストフードも一人暮らしを始めてから大好きになった。初めてすき家に行った時に、注文の仕方が分からなくて帰った時のわたしとは、もう違うのだから。
今、わたしが一番楽しみにしているのは、春から社会人になること。そして、ふるさと納税にデビューすることだ。生活を通じて、お金との距離が少しずつ近づいていく感じがするし、何より自立した1人の人間になれていくような気がしている。
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