セルフイメージで選べなかった仕事。自尊心と主体性で「やれる私」へ

ぶっちゃけ、私はお金を稼ぐことが苦手だ。……というセルフイメージがずっとあった。
高校生から大学生にかけて、いろんなアルバイトをやってきた。
めちゃくちゃ失敗したわけでもないが、「まあ、私にはこんな業務が妥当だよね」というようなセルフイメージでバイトを選んでいた。なるべく接客しなくていい単純作業とか、人と接する機会が少ない清掃バイトとか、1人で完結するようなものばかり選んでいた。
自信がなく回避的で、トラブルに直面しても問題解決能力がなかった。その場にいる外交的な友達に任せたりして、「とりあえず、苦手なことでも挑戦してみよう」という気持ちがなかったのだ。
多少は人と接するのだが、がっつり接客というわけではない仕事ばかりを選んでやっていた。
私は、子供の頃からずっと自尊心が著しく低かった。過干渉・過保護の親と攻撃的なきょうだいのもと、あるときは萎縮し、あるときはそのバランスをとるように反動がきてわがままに育った。
自分自身の在り方に一貫性がなく、何が自分かもよくわからなかった。
母親からは特に自分の意見を尊重してもらえないので、いつしか自分のことを話すのを諦めていた。
一体自分が何がしたいのかもわからないまま、ただただ受け身のまま生きてきた。
主体性がまったくない子供だったのだ。今もし当時の自分に対して何を言うかと考えたら、「失敗を恐れずに、10代の頃からいろんなことに挑戦してほしい」と迷わず言うだろう。
高校受験をする際も、公立の高校は受けずに私立の高校を専願受験した。15歳の時点で、なにかに挑戦するということをもう放棄してゾンビのようになっていた。
人の顔色を伺い、その人が言ってほしそうなことを言う。そこに私の本音はない。学生生活を乗り切るための人間関係。作業のように学校に通い、ただ卒業するだけ。
私は大人になって主体的に生きていこうと、行動した。何か迷走するたびに「自分に合いそうなことってこういう仕事だよな」「こういう人だよな」「こういう趣味だよな」と自分に合いそうなものを選んでやってみた。
しかし「自分に合いそう」「今度こそうまくいきそう」と思ってもことごとくダメだった。私は「私自身にはこれが合っているだろう」と判断することにもはや意味を感じなくなった。
大学を卒業して新卒で入社したところには、自尊心がついていかず続かなくてすぐに辞めた。自尊心と自立心を学生時代にきちんと育ててこなかったので、わかりやすくつまづいたのだ。
話は戻るとして、お金との関係は、自分自身の主体性と強く直結していると感じる。
社会に出て、私は大きな挫折を味わった。これまでの、受け身で依存気質な自分ではこれからは通用しないと強く思い知った。
友達との縁もほとんど切れた。失恋もした。鬱病にもなり通院もした。大きな手術もした。数え切れないほど涙を流し、たくさん人を恨んできたし、憎んでいた。
たくさん考えて、行動もして、気づいた。私が私自身で生きられるようになったとき、私自身と他者が、本質的な意味で繋がれたときに初めて持続的にお金が入ってくるのだと感じた。
それは、私が本質的な意味で大人になることで結ばれる関係だ。
人に与える立場になったと理解し、主体性をもって自分の人生を作っていくと覚悟することが、精神的な自立である。
転職離職を繰り返して、私はあえて自分自身が一番苦手としていた「人と接する仕事をしよう」と決めた。
とても怖いし、入社してみてからも「私に向いている」と思えていない。だけど、「私はやれる」と主体性と自尊心を持って取り組むことが大切で、その過程が尊いと感じている。
自尊心と主体性、それこそがお金との関係だと、はっきり腑に落ちてわかったのだ。
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