悲劇のヒロイン役にはもう立候補しない。不幸探しからの脱却へ

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
突然ですが、2025年は「自ら不幸を探しにいかない1年にする」とここに宣言させていただきます。
考え方のクセというのは恐ろしいもので、私はどうやら何かに取り組むときや何かに向き合うとき、「常に最低最悪を想像する」のが当たり前になっていた。失敗したり、誰かから痛い言葉を投げつけられたりすることをイメージするのは大の得意で、この特技を生かしながらこれまで生き延びてきたといっても過言ではない。
「想定していたほどひどいことにはならなかった」と着地することがほとんどである。「思っていたよりは良い感じだった。また次も頑張るぞ」と前向きに事を終えることもあった。
しかし、昨年。2024年はその特技が磨かれすぎて裏目に出てしまうことの方が多かった気がする。
実は2024年、私は仕事を辞めた。
仕事を辞めて、別の仕事に就く。そういう大きなライフイベントがあった。しかもいろいろあって、急に辞めざるを得なくなって辞めたし、金銭的にゆっくりしている余裕がなくて次の仕事もあわてて決めた。「辞めようかな」から、実際に辞めて、新しい仕事につくまで、実に1ヶ月未満。怒濤の流れで私の生活は変わった。
新しい仕事は、まったくの専門外で、何もかもが初めての連続。
でも、幸いなことに人にとても恵まれた。業務自体はわからないことだらけでとても大変だったが、他の職員さんは温かく、サポートも手厚かった。
きっと、コツコツ経験を積めば、自分の力になる。いつか一人前になれる。
しかし、ここで私の足かせになってしまったのが、例の特技である。
「きっとこんな失敗をするに決まっている」
「今日は○○がある日だから、私はきっとうまく動けない」
こういうふうに考えるのはいつものことだったが、私は自分で生みだした鮮明すぎるイメージに押しつぶされてしまい、何度も当日欠勤を繰り返した。
ちょうどいろいろな感染症が流行っていたから、その感染症をコンプリートした(ことにした)。
寒い日が続いていたから、凍結した階段で滑って転んでケガをした(ことにした)。
元気にしているおばあちゃんのことも、死んだことにしてしまった……。
いろいろな理由で、何日も何日も休んだ。思い出して書き出すだけで、のたうちまわりたくなる気持ちになる。
心配なこともあるし、怖いと思うことがあるのは事実だ。しかし、冷静に考えれば、大きな失敗をしたこともないし、誰かに叱られたり嫌味を言われたりしたこともない。最低最悪を想定して、身動きが取れなくなってしまったら元も子もないじゃないか。
必要以上に不幸を探すのはやめよう。自ら悲劇のヒロイン役に立候補するのは止めよう。そう決めた。
私が具体的に心がけたいことは2つある。
一つ目は、「まず行ってみる、まずやってみる」ことである。考え始めると、どんどん憂うつになるのはわかっている。まず動いてみる。無理だったら、帰ってくればいい。
二つ目は、「嫌なことの割合と、嫌じゃないことの割合を比較してみる」ことである。少しでも嫌なことがあると、そればかりに焦点があたって、それしかないような気持ちになってしまうが、一歩引いて考えてみると嫌なことはすべての業務の中のほんの一部だったり、時間で考えればほんの一瞬だったりする。それに気がつくことができればだいぶ気持ちが楽になりそうだ。
きっと2025年は、仕事だけじゃなくいろいろなことがある。そんな予感がする。どんなときにも、「自ら不幸を探しにいかない」ように、心がけたいと思う。できることなら、「幸せを探しに行く」フェーズにも突入したいものだが、それはまだ難しいかもしれない。
さて、どんな1年になるだろうか。
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