「俺、アル中なんだよね」告白された私もアル中。浮かび上がる違和感

精神科病院に入院していた時のこと。同じく入院中の男性患者と話していたら、ふいに「俺、アル中なんだよね」と言われた。私はその告白にドキッとした。続けて「分かる?アルコール依存症」と言われたところまでは覚えているのだが、動揺しすぎてその後に何を話されて、どう返したのか覚えていない。
私がドキッとしたのは、私自身もお酒の飲み方に問題を抱えていたから……というわけではない。THE ALFEEのファンだからだ。
子どもの頃、偶然聴いた星空のディスタンスに一耳惚れして以来、人生の半分以上のお付き合いである。ハマり始めた頃、歌を聴きまくっていたら、周りの大人から「アル中だ」と言われた。
昔からファンのことをアルフィー中毒、略してアル中と言うそうだ。他称で使われ始めたこの呼び方は、今ではすっかり自称として定着している。アルフィー中毒までは分かるが、略してアル中と言われるとなんとも落ち着かなかった。子どもとはいえ、アル中という言葉がアルコール中毒の略称であることは知っていた。詳しく意味は分からずとも、使われ方からして、良い意味ではない、差別的な意味で使われていることも分かっていた。アルコール中毒の方の印象も相まってか「アル中」と呼ばれたのはいい気分がせず、THE ALFEEの曲を積極的に聴くのも、好きだと公言するのも何か悪いことのような気がしてしまった。
とはいえTHE ALFEEから完全に離れたわけではなく、その惹きつけてやまない魅力こそが中毒と称されるゆえんでもあるのかなと思っていた。唯一の救いは、本人たちからファンをアル中と呼んでいるのを聞いたことがないことだった。
アルコール依存症という意味でのアル中という言葉は、アルコール中毒の略であり、差別的な呼び方、いわゆる蔑称である。「俺、アル中なんだよね」と自称する分には構わないが、「あの人、アル中だってよ」などと他称で使うのはよろしくない。とはいえ自称でアル中という言葉が使われている時、当事者が自分をひどく蔑んでいて、そんなに卑下しなくても……と端で聞いていて思ったりもする。
どちらにせよアル中という言葉は、アルコール依存症を蔑んだ言い方だ。アルコール依存症は本人の意思の問題と勘違いされ、周囲から責められたり、自責してしまいがちだが、脳の病気である。アルコール依存症と言われると病気感が強いが、アルコール中毒、アル中という言い方だと病気感が弱い気がする。ちょっとした言い方の違いだと思うかもしれないが、言葉を変えるだけでもずいぶんと印象が変わる。そういう小さな積み重ねから、世の中の認識などが変わっていくのだろうと私は信じている。
「俺、アル中なんだよね。分かる?アルコール依存症」と言われて、ドキッとしたのは、積極的に使ってはいないにせよ、本来の意味ではない使われ方のほうが身近だったからだろう。後日、「私、THE ALFEEが好きなんだけど、昔からファンってアル中って言われてて、でもアル中って言葉はおふざけで使って良い言葉じゃないんだってあの時、思って」とワタワタしながら喋った。男性患者は特に何も思ったことはないようだった。私は子どもの頃から感じていた違和感や罪悪感のようなものが、やっと正体がつかめて、言語化出来てスッキリした。
私は精神疾患に対して理解のない言葉を投げかけられた時、この人は精神を病む苦しみを知らないからこういうことが言えるのだなと感じる。しかし、苦しみを知らないことは悪いことではなく、すごく幸せなことだと思っている。この人は苦しみを知らない幸せな人なんだなと傷付いた自分を慰める。
近しい人にアルコール依存症の人がいたり、自分がアルコールの問題に苦しんでいたりしたら、アルフィーファンという意味合いでアル中という言葉を使いはしないと思う。苦しみを知らないから使えるのだろうか。でも、差別、偏見等もあるからわざわざ言わないだけで、アルコールの問題に苦しんでいる人は世の中にけっこう存在する。長く愛されている表現に今さらどうこうということではなく、私は使わない。いや、使えない。ただ、それだけだ。
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