色とりどりの灯りによって煌びやかに輝く街。どこか浮足だった様子の人々。そんな光景がまるで夢だったかのように、静寂に包まれる街の中で、私はこの文章を書いている。

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先のことを考えると、なんだかモヤモヤして手が進まない。高校に進学した頃から、この時期になると毎年、スマートフォンのメモに1年の振り返りを残すようにしている。なので、2025年の宣言を記す前にほんの少し、このメモを頼りに、高校生から現在までの学生時代を辿ってみようと思う。

メモには毎年、決まって書かれている文言が2つある。1つ目は「今年はこれまでで最も濃く楽しい1年だった」。2つ目は「今年はこれまでで最も悩み考える時間が多かった」一見すると相反するように思えるが、これらは私の生き方を象徴する言葉だと、メモを振り返って気付くことが出来た。

思い返すと、私の原動力は常に「自分を変えたい」という気持ちだった。何故なら、現状に満足したことが無いからだ。いつだって、何か夢や目標を定め、それに向かって走り続けている感覚がある。つまり、あらゆることに挑戦して向き合っているからこそ、時には自分自身に落胆し、後悔や挫折を繰り返すのだと私は思う。

だけどそうやって、もがき苦しんでいる時間が好きだったりもする。過去に、長年追いかけていた夢に破れ大きな挫折を経験した際、休息期間を設けたことがある。今を楽しむということに専念しようと決めたはずが、何もせずぼんやりと時間が流れることに対し、頭の中には焦りやもどかしさが渦巻くばかりでかえって心も身体も重くするのだった。

中学生の卒業式に担任の先生からこんな言葉が贈られた。「何か行動を起こした先の辛さより、何もしてない方がよっぽど辛い」これを聞いた時、心の奥深くにズシリと響き、全身に鳥肌が立つような感覚を覚えた。当時はそれが不思議だったが、模索しながらも立ち止まることなく、前に前に進もうとする生き方が私は好きだからなのだと、今になって思う。

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そろそろ本題に入ろうと思う。これまでの自分を振り返ったところで、心の中のモヤモヤが鮮明に言葉として浮かび上がった。

2025年、私の宣言。「心の声に従って、欲深く生きる」ということ。

視点を変えれば、自分はなんて強欲なのだろうと感じたこともある。目の前にある幸せで満足出来ない自分に嫌気が差し、変わろうとすることをやめた時もあった。だが、自分自身に問いかけた時、私は今に感謝し楽しめているし、今の自分が好きだと胸を張って言うことも出来る。つまり私にとっては、「自分は何になりたいのか?」ではなく、「どんな風に生きていきたいのか?」が重要なのだと思う。

こんな風になれたらいいな、あんなことがしてみたいな、という感情はきっと誰もが常に抱いているものだろう。しかし現実は、それを叶えようとするよりも諦める理由の方が多いと感じる。心の声を無視せず、まずは夢を持つということを大切にしたい。2025年は就活の年であり、どんな結果でも後悔することはきっとある。だからこそ、思う存分もがき苦しんで、私なりの生き方を確立させる1年になればと願う。

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この先、このままでいればそれなりに幸せだと思うこともあるだろう。進んでいくうちに何度も立ち止まって、行き先が分からなくなることもあるだろう。だけど私は、自分の好きな生き方をする。どんな道に進んでも後悔しない唯一の方法だと思うからだ。挑戦をやめることはない。これが、私の宣言だ。