おいしい=心が喜ぶこと。年末年始の6連勤、カレーパンに救われた心

ゴールデンウィークやお盆や年末年始で多くの人が休みを謳歌する一方で、休み返上で働く人たちがいる。病院、介護施設、ごみ収集、交通機関にかかわる人たち、そして飲食店の従業員。社員もパートの主婦もバイトの学生も関係なく、家族との時間や自分の時間を犠牲にして労働に注ぐ。給料という対価が払われているとはいえ、実際はそれ以上の貢献をしてもらっているというのがバイトを始めてようやくわかるようになった。
私は大学1年から某ファミレスチェーンのホールでバイトをしている。普段は学業で忙しいため繁忙期は私にとって重要な稼ぎ時であり、ここで稼いだお金は私にとっての精神安定剤となる。しかし、気持ちは繁忙期の後半から「稼ぎたい」より「お金はいらないから帰りたい」に変わる。長期休み前は毎度「TOEFLの受験に向けて英語を勉強しよう」などと意気込むのだが、バイトから帰って腰を下ろすと床にやる気が吸い取られるかのように無気力になり、結局何も成し遂げないで休みが終わる。
スマホとタブレット両方にセットした10分おきのアラームを5回ほど逃してからギリギリに起きて、炭水化物だけの朝ご飯をかきこみバイトに向かい、休憩時間は安い菓子パンにかぶりつき、バイトから帰るとグダグダXを眺めているうちに日付を越える。スマホのメモ帳にはただたまっていくだけのやることリスト、リュックにはまだ開いてもいない図書館で借りた参考書、床にはクローゼットにしまわずに放置した洋服、スキンケアを怠った顔には新しいニキビ。自分で入れたシフトなのに、何のために働いているのかわからなくなるのがおちだった。
年末年始は家族そろって食事に来るお客様が多く、特別な日だからかいつもより客単価も高くなる。普段は料理しか頼まない人が多いが繁忙期はドリンクバーやデザートなどのオプションを付ける人が多い。水も飲まずに5時間ぐらい動き回っている中で大量の食べ残しや飲み残しを見ると悲しくなる。立ち上げからディナーまで働いた分の給料を一食に使う人がうらやましくなる。勝手に他人にいら立つ自分が情けなくて、働くのが楽しくなくなってきていた。
年末年始の6連勤の5日目。年始は終バスが早いのでこの日の帰りはもうバスがなく、仕方なく片道45分の道をとぼとぼ歩いて帰る。入って1年半近いのに今日もまたしょうもないミスしちゃったな、後から入ってきた人たちにどんどん越されて情けないな、予定より早く上がらせられたのは私が使えないからだろうな。おなかがすいていたが、今日もダメダメだった自分に買う資格がないように思えて、今日こそ行こうと思っていたかつ家もすき家も通り過ぎた。
しばらく歩くとコンビニの前まで来た。寒さと誘惑に負けて入るとうっかり傘で低い位置にあった商品を倒してしまった。慌てて拾おうとすると男性の店員さんがにこやかに「こちらで戻しますよ」と代わってくれた。
その場を離れるとレジ横のホットスナックに入っていたカレーパンが目についた。コンビニのホットスナックはおかずにも食事にもならないから贅沢品とみなしていたが、この日だけは我慢できなかった。「今日ぐらいはいいよね」と思いながら一つ買う。店を出てすぐに開いてかぶりつく。サクサクの衣と温かくてピリ辛なカレーが冷え切った体と荒んだ精神に心地よかった。このカレーパンはバイト先のトッピングのチーズ1枚よりも安い。けれども、今日の私をいたわるにはこれで十分だった。
おいしいことは必ずしも高いことや美味であることではなくて、心が喜ぶこと。店員さんの優しい対応も相まって味以上のおいしさがあった。おかげで連勤最終日まで走り切ることができた。
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