大声で叫びたい、歌いたい、走りたいなど、訳もなく生じる衝動は誰にでもあると思う。

私の突発的な衝動は「書きたい」である。面白い小説を読んで触発されたときは自分も小説を書こうと思いたち、素晴らしい歌詞に感動したときは自分も作詞したくなるし、思索にふけた時はエッセイにして吐き出したくなる。

ただ書くだけではなく何らかの価値をつけてもらいたいと思い、コンテストを片っ端から探す。締め切りが近すぎたり、時間に余裕があっても思うように言葉を紡ぎ出せなかったりして応募を諦め、実際に行動に移せたのは体感1割に満たない。実はこの「かがみよかがみ」はそんな時に見つけ、今では私の表現の拠り所といっても過言ではない。

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こんな私の2025年の目標はずばり、かがみよかがみの特集全てにエッセイを投稿することである。その目的の第一は書く力を身につけること。これまで、書こうとしても思ったように言葉を繰り出せなくて断念してきたことがたくさんあった。いざ完成しても数日後には書き散らした駄文になっている。ただ修辞的に飾られた言葉ではなくて何か心に残る文章を書きたい。そのためには頭の中で書いては消してを繰り返すだけではなくて実際に書いて慣れる必要があると思う。

書く力を高めたいのにはいくつか理由がある。まず、書くことを私の強みとしたいから。高校までは集団内で勉強ができる方、英語が得意という多少の強みがあった。しかし、医学部に入れば勉強はできて当たり前、英語を話せる人も少なくないため何の希少価値もない。しかも勉強に関係なくスポーツ、歌、楽器演奏、美術など何かに秀でたものをもつ上位互換的な人たちばかりで私のようにただちょっと勉強ができただけの人間はモブと化す。

別に誰かに褒められてちやほやされたいわけでもないしキラキラしていたい訳でもない。書く力は私だけのものではないし(第一かがみすとが多数いる中で私が一人勝ちできるわけがない)、文学など言葉の道に進んでいる人たちとは雲泥の差があり私が一番になることはない。それでも何か特別なものを持ちたい。SNSでインフルエンサーになったり顔出しNGのシンガーソングライターになったりしたいとは思わないけど、平凡な大学生に見えて実はエッセイ集を出して印税でウハウハしてたりうっかり文芸賞をとってしまったり…なんて妄想をしなくもない。

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もう一つ理由がある。言葉の力で自分を守るため。理系に進んだ私はなぜ国語のような文系科目が必要なのか理解できなかった。医者になるにしても必要最低限の語彙や漢字を知っていればいいのではないか。国語で習うことは時に教養として扱われるが、「教養なんて生活に余裕のある暇な人がやることだろう」と勝手に思い、庶民の自分には必要のないことだと決めつけていた。

けれども、大学生になると考えは一変した。難関とされる医学部に現役で受かり、友人数人と進学し友達作りにも困らないのにどこか満たされない日々が続いた。もやもやした気持ちを誰かに聞いてほしかったが親も友達も彼氏も理解してくれなかった。いや、私の言葉が下手で理解してもらえなかったのだ。ここでようやく言葉の力の必要性が分かった。教養は上流階級の人のものではなくて万人のものであり、余裕のある人のための暇つぶしではなくて余裕がない人の心を救う力がある。言葉もその一つ。だから私は言葉という武器を持っていたい。大切な人を守るためでもあり、自分を守るために誰かを傷つけるためでもあるかもしれないが。

以上の動機を糧に今日も私は何かを書く。こんな稚拙な文を毎度読んでくださる編集部の皆様には頭が上がらない。