温かく包み込んでくれた母。就職が決まったら感謝の気持ちを伝えたい

実家を出てから気づいた。お母さんの存在の偉大さ、手のぬくもりがどれだけ私の心を安定させていたか。
私は4人兄弟の末っ子である。一番上とは一回り以上離れており、私を産むときお母さんは高齢出産であった。その分大切に育てられ、兄弟からもかわいがられていたと思う。
そんな私の人生は周りの人があまりたどってこないようなものだったといえる。それだけ、お母さんには迷惑をいっぱいかけてきたと思っている。
小学校卒業後、私は兄が進学していた私立の中学に進学した。その学校は中高一貫校であり、カトリックの学校であった。また、古典的な校則を持つ学校でもあった。様々な厳しい校則がある中でも、一番印象的なのは、「恋愛禁止」であった。私のお母さんも勉学に励むように、そして真っ当な子に育てたいがゆえに、この校則に大賛成であった。
この校則があらわすように、学校の造り自体も高校1年生までは、男女が別の校舎で授業を受けていた。しかし、部活などでどうしても男女が交流する機会がある。私はそこで1人の男の子と仲良くなり、付き合うことになった。
しかし、神様の目は欺けない。付き合っていることが先生にばれたのだ。この時、私のお母さんは学校に呼び出され、注意されるだけで済んだ。私の兄も同じようなことで先生に呼び出されたことがあり、お母さんはもう慣れている感じであった。注意された後、私は家でかなり叱られた。
自分が悪いのに、私は叱られたことに対し、イラつき、小学生の時にお母さんに1/2成人式で渡した感謝の手紙を破き、捨ててしまった。この手紙は私が21年間生きてきたうえで唯一渡した手紙であった。この時は、お母さんのことが嫌いで何とも思わなかった。
その後私は同じ過ちをしてしまった。お母さんはまた学校に呼ばれ、ついに退学することになってしまった。お母さんを相当悲しませたなと今になって思う。それ以降私は、同じ過ちを犯さないように、そしてお母さんを悲しませないようにと思い、高校は女子校へと進んだ。
高校では、特に大きな問題はなかったが、一時期いじめのようなものに遭った。最初は耐えていたが、家に帰ってお母さんの顔を見ると耐えられなくなり、泣いてしまった。お母さんは、たくさん慰めてくれた。
私が泣いているとお母さんは、いつもハンカチを貸してくれる。そのハンカチの匂いが小さいころから好きだ。このにおいを嗅ぐと心底安心する。この時もハンカチを貸してくれた。
高校を卒業し、大学へ進学するために上京した。上京したては、ホームシックになって、毎晩のように泣いていた。頻繁に帰省をしていた。やっぱり実家は落ち着く。地元の友達に会う予定を立てることなく、家でずっと家族の時間を過ごしている。
その後私は無事に成人した。本来、母の振袖を切るつもりだったが、私の姉が母の振袖を引き継ぐことになっていたのに加え、一度着たこともあったということで、私用に新しく素敵な振袖を仕立ててもらった。
しかし、私は予定があったため成人式自体に出ることはなく、写真のみで終わらせた。成人は、人生の中で結婚に続いて一大イベントだと思っている。そんなイベントで、親に日頃の感謝を込めて手紙を送るべきであっただろう。しかし、私は恥ずかしく思い、手紙を渡さず、感謝の言葉すら言わなかった。今ではこれが一番後悔している。こんなにもたくさん迷惑をかけてきたにもかかわらず、温かく包み込んでここまで育ててきてくれたというのに、薄情だなと思う。
就職が上手くいったら手紙に感謝の言葉を書いて、今まで育ててきてくれた感謝として初任給で何かしたいと考えている。おかあさんいつもありがとう。大好きって面と向かっていえるようになりますように。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。