年を越す前に来春の田んぼに使う肥料を買うと割引がある。かなりの量になるので、割引額も大きくなる。年を越す前に買うに越したことはないのだが、もう年齢的に田んぼをやめようと思って、買わずにいた。しかし春頃になると、なんだかんだ苗の準備をし始めて、結局、今年も田植えをした。もちろん肥料も買った。

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という話を聞いて、何十年と続けていることを止めるのって難しいよねと言った。そう他人事のように言ったのだが、何十年とはいかないものの、私にも身に覚えがあった。お正月の準備である。

実家では、おせちとがめ煮を用意していた。子どもの頃は母がメインで作ってくれていたが、成人後は私がメインで作る年もあった。おせちと言っても市販品を切って詰めるだけだった。かまぼこの板は包丁の背を使うと綺麗に取れるし、気持ちいい。この時期にしかやらないのでちょっとした楽しみだった。

がめ煮は筑前煮だと思ってもらえると良い。味付けは母から習ったかどうか忘れてしまったので自己流だ。でっかいお鍋いっぱいにがめ煮を作り、三が日過ぎたあたりで飽きるので、カレールーを入れてカレーにして食べていた。一度、面倒くさがって大根のアク抜きをせずに入れたらエグ味が出てしまった。大根のエグ味はすだちを入れると消えるらしいが、もういくつ寝なくてもお正月という段に、すだちと言われましてもと焦った。その後、なぜか時間が経ったらエグ味が消えたので助かった。

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もう実家から出たし、一緒に過ごす恋人も季節行事には疎いので、お正月の準備なんて、もうやらなくて良い。だけど、なんだかんだやってしまうなと、がめ煮を煮ながら思った。

実家では詰めるだけだったおせちも、伊達巻きや栗きんとんなど、作れそうな物は作っている。今回は伊達巻き作りに成功して、大満足だった。前回は焼いている最中に、生地が突如UFOのような形に膨らんだ。何とかなれとすだれに移そうとしたら、フライパンに焦げ付いてぐちゃぐちゃになってしまった。まるでUFOが墜落して大破したかのようだった。初の手作り伊達巻きは年を越すことなく、その場でおなかに収まった。味は美味しかった。

こう振り返っていると、むしろ実家よりお正月準備を楽しんでいる。驚きだ。嫌々やっていたはずのお正月準備を楽しんでいる。

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おせちとがめ煮があると、楽であることは間違いない。準備は大変だが、作ってしまえば、食べる時に温めて出すだけでお正月の間はしのげる。都度、お餅を焼くくらいでお正月中は料理をしなくて済むのだ。楽以外にも、台所の神様をお休みさせるためにお正月中は料理を最低限にしたいという感覚が私の中にある。我が家の正月料理は本来の役割を全うしてくれている。

年末、とある芸能人がSNSで、毎年がめ煮を煮ていると写真とともに投稿していた。がめ煮と言っても九州以外の人には通じない。私はいつも、いわゆる筑前煮と説明している。でも私からすると、がめ煮はがめ煮で、むしろ筑前煮ってなんだって感覚がある。がめ煮とはなんぞやという説明をしていない芸能人の投稿に、がめ煮はがめ煮だよねと謎の勇気をもらった。

謎の勇気をもらいつつ、作ったがめ煮は過去一の美味しさだった。今回は大根が高くて買えなくて入れられなかったのが、功を奏した。大根は部位によって辛かったり、エグ味があったりするからだ。あまりの美味しさにカレーにするまでもなく、売り切れた。

作るの大変でしょう、と労われるが、がめ煮に関してはあまり大変という感覚はない。12月になると安いうちに具材を買い、皮を剥いて冷凍しておく。実際、作る時には鍋に入れて煮るだけになる。おせちの方が大変なのだが、まだ作る楽しさの方が勝っている。

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いずれ、大変だからとがめ煮を作らなくなる時が来るのだろうか。大変と言いつつ、なんだかんだ作ってしまいそうな気もする。いや、食べきれないからと量を諫められる日の方が近いかも。そう言ってくれる人がそのくらいのお年頃になってもいてくれたらいいなとも思う。