「死にたくない」人生終わりと悟った日。言葉で大切な人を傷つけた

「死にたくない」
年甲斐もなく涙を流す私に、周りの大人は動揺していた。
一生忘れることのない日がある。それは高校3年生の冬、受験期真っただ中だった。
いつものように塾から帰ってくると、体が一気に重くなったのを感じた。顔色が悪いと母に言われ、熱を測ると40度近くになっていた。少し前から喉の調子が良くなかったため、疲れが溜まり悪化してしまったのかな、くらいにしか思っていなかった。
解熱剤を飲んで寝ても、症状は悪化していく。コロナの検査キットを試しても陰性だったため、薬をもらいに病院に行った。
採血やレントゲンなど大層な検査をした後、診断結果は肺炎だった。
あ、私人生終わるんだと思った。
祖父が肺炎で亡くなったため、隔世遺伝だったのだと悟った。信じたくなくてとにかく現実逃避をしようと、余生の計画を頭の中で練っていく。受験なんかやめてたくさん旅行に行って、貯金を使い切るためにどんな楽しいことをしようかと考えを巡らせる。
先生が何か説明をしていたが、頭には入ってこなかった。
あらかた妄想を終えると、激しい虚無感に襲われた。家族や友達の笑顔が次々に浮かぶ中で、大事な人たちに何と言ってお別れしようかと悲観的になる。
もう生きられないなんて言葉にしたら自分でこれは現実だと意識してしまう気がして、じわ、と涙が込み上げた。このモードになってしまったら、もう自分で自分を止めることはできない。
先生方と母に囲まれた診察室で、声を上げて泣いた。
もう死んじゃうってことですか。余命はどれくらいなんですか。はっきり言ってください。
死にたくない。
文字にするのは憚られるような強い言葉を、八つ当たりをするように叫んだ。
泣き疲れて少し落ち着いてきた頃、母が部屋を出ていった。トイレにでも行ったのかとあまり気に留めていなかったのだが、戻ってきた母の顔は今でも覚えている。
マスカラが頬に落ちていた。
泣いたんだ。
不安にさせないよう私の前で涙を見せないようにしていた母の強さを感じ、また涙が出てきた。
死ぬなんてこと言ってはいけない。至極当然なことを改めて言わせてほしい。人に攻撃するためにこの言葉を使うのは論外だが、そうでない場合も口にすること自体、大切な人を深く傷つけてしまうことを自覚しなければいけない。
結局肺炎は誤診で、実際は肝臓へのウィルス感染だった。1週間入院して今では完治している。縁起でもないがまた死に直面するような場面があったら(といっても今回は直面していないのだが)、このまま私はいなくなってしまうんだとか投げやりな言葉は発したくない。ただ、自分の本当の気持ちを隠したまま過ごすことは私にはできないので、どうしても弱音は吐いてしまうだろうと確信している。
エッセイテーマに沿って考えると、言葉にして良かったのではないかと思う。もちろん余計な心配をかけてしまった周りの人たちには申し訳ない。しかし死にたくないと強く願う自分の意思と、それと同じくらい強い母の愛を感じ、力が全身を駆け巡るのを感じた。
言葉を選ぶ必要があるが、不安や苦しい気持ちは共有して、勇気付けながら生きていくのが、人間関係として健全である。できるだけ明るい言葉を選びながら、長生きしたい。
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