満ち足りた、幸せな気分で食べたものよりも、悔し泣きしながら食べたものの方が、心の中にしっかりと記憶される気がする。

少なくとも、私にとってはあの日泣きながら食べたラーメンの味が、まだはっきりと記憶に残っている。

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ものすごく努力したのに、欲しかったものが手に入らなかった時って、何であんなに悲しいんだろう。

テレビのCMでも、小説でも、レギュラーに選ばれなかった野球少年は人目をはばからずに号泣する。入賞を逃した美術部の部員は、絵筆を抱きしめて放課後の美術室ですすり泣く。喉から手が出るほど求めていた何かが、その手をすり抜けていった瞬間の絶望というものは、本当に計り知れないものである。野球部にも美術部にも入ったことはない私も、同じような出来事は今までの人生で何度も経験してきた。

その中でも割と新しいものは、学生生活最後の冬の出来事である。

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以前、「2023 私の宣言」というテーマで書いたエッセイでも触れたのだが、私が通っていた大学では「卒論発表会」という行事があった。これは、その年度に最も優れた卒論を書いた4年生数名が登壇して卒論を発表するという行事だ。元々文章を書くのが好きな私は、この発表会に出ることを目標にして卒論を書いていたのだけど、残念なことにそれは叶わなかった。卒論発表会に出るメンバーが発表された日は、本当にショックで文字通り頭が真っ白になって、ふらふらとキャンパスを後にした記憶がある。

で、当時よく行っていた大学近くのラーメン屋で、泣きながらラーメンのやけ食いをしたのだ。その店のラーメンはどれも結構な大盛りで、味付けもそれなりに濃かった。でも、すっかりやさぐれ気分の私には、そのくらいの方が良かった。ラーメンの中に大量の涙を落としながら、ぐちゃぐちゃの顔でずるずると乱暴に麺をすする。厨房にくっついたカウンター席だったからたぶん丸見えだっただろうに、気づかないふりをしてくれる店員さんの配慮が無性にありがたかった。

あれだけ絶望しながらラーメンを食べた記憶は、先にも後にもあの時だけだ。

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私なりに、今までの人生を振り返り、「思い出のごはん」というテーマにふさわしい、食にまつわる明るく楽しい思い出、感動的な体験などをピックアップしてみた。

普段意識していないだけで、振り返ってみれば沢山あった。初めてのバレエの発表会の時に楽屋で食べたお菓子とか、旅行先で出会ったご当地グルメとか、地元の友人たちと開催したサイゼリアパーティーとか。たぶん、これらの思い出を書いた方が、明るい、きらきらっとした作品に仕上がるんだろうということは分かっていた。

でも、それらポジティブな記憶の間から「いやいや、あんだけ悔しかったのにお前はもう忘れたのかよ」「お前の『思い出のごはん』はこれ以外にないだろうよ」と這いずるようにして顔を出したのが、卒論発表会に出られなくて悔し泣きしながらラーメンを食べた記憶だった。

元々文章を書くのが好きで、得意で、小中高と作文も小論文もあまり苦労せずに書いてきた私が、生まれて初めて「本当に本当に悔しい、もっと文章を書けるようになりたい」と、体の奥深くに火がついたように渇望した。あの時は泣くほど悲しくて悔しかったけれど、今思うと大切な思い出だ。

きらきらした温かい記憶ではないかもしれないが、あの時食べた、涙の混ざったラーメンは、私にとっては立派な「思い出のごはん」だ。

だから、今回きちんと文章に起こして、形にしようと思って筆を執った。

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さて、大学卒業から1年が経つ頃、用があって大学に行くことになったので、あのラーメン屋に寄ってみた。寄ってみたのだけれど。

店はなくなっていた。看板も、メニュー表も、忙しそうに働く店員さんたちの姿も、まるで最初から何も存在していなかったかのように忽然と消えていた。

すっかり汚れて、曇りきった窓ガラスをのぞき込む。泣きながら麺をすすっている22歳の私の姿を一瞬期待したけれど、窓の汚れがすごすぎて何も見えなかった。

もしかしたら、これから新しいテナントが入るのかもしれない。別にラーメン屋じゃなくても良いけれど、次もまた、美味しいご飯屋さんだと良いな、と思った。このあたりには、私が卒業した大学以外にも、いくつも学校が建っている。交流会をやりたいゼミ生たち、本番後に打ち上がりたいサークル、そして一人でやけ食いしながら泣きたい気分の学生が、美味しいご飯を食べられるようなお店は、なんぼあったって嬉しい。

ラーメン屋の跡地を後にして、別のお店でお昼を食べた。

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あのラーメン屋がどうなったかは知らない。もしかしたら今は、遠く離れた別の地で営業しているのかもしれない。そして、いつかの私みたいに、悔し泣きしている誰かをなぐさめる一品を提供しているかもしれない。

初任給で食べに行ったステーキ、初デートで注文した喫茶店のパフェ。テレビドラマや小説では、「食べる」という行為は、幸福な思い出に美しい色を添えるものとして描写されることが多い。でも、食の記憶と結びつくのは、何も思い出すだけで笑顔になれるような、温かい思い出だけではない。絶望しながら、泣きながら、悔しがりながら口にしたごはんの味だって、その時の感情とセットで、その人の人生の節目節目を彩るはずだ。私にとっての、あのラーメンの記憶のように。

きっとこれからの人生で、また同じような体験をすることが何度もあるだろう。泣こうがわめこうが構わない。

でも、涙の混ざったその食事を食べ終えたら、あとはもう潔く顔を上げて、気持ちを切り替えておくれよね。