お金がなくなるのが怖い。でも、それは想像で怯えているだけ?

私はお金のことを考えることが怖い。ものすごく不安になってしまうのだ。低賃金、物価高の昨今、皆そうかもしれない。だが、私は実情以上に不安になってしまう。恐怖の程度が度を超しているのだ。
そのことに気が付いたのはうつ状態がひどい頃だった。鬱病の症状で貧困妄想というものがある。私もそれかなと思い、主治医に聞くと、あっさり否定され、終わってしまった。
貧困妄想じゃなかったら大丈夫というわけでもなく、不安や恐怖は変わらない。じゃあ私はどうすれば良いのかと困惑した。
私はお金のことを考えないようにした。極端かもしれないが、そうするしかなかった。家計簿も付けるけど、あくまで付けるだけ、記録するだけ。エクセルの練習と銘打って目的をすり替えて、お金のことを考えないようにした。
しかし、父から逃げて実家暮らしではなくなった今、お金のことを考えないのは難しい。むしろお金のことを考えていないことに恐怖すらある。
会ったこともない遠い親戚がある日、突然「お金がない」と言って自死したそうだ。前触れもなく、あまりにも突然で周囲では、どうして、なぜと衝撃が走ったそうだが、私は会ったこともないのに感情移入してしまった。
お金のことを考えるのが怖くて、だましだまし日々を生きてきたけれど、ある時、通帳を見たら残高がほとんどない。そしてお金がない恐怖に耐えきれず…。
全て私の想像だが、私ならやりかねない。現状の私の未来予想図ですらある。
お金がなくても生きていけるとか、なんとかして工面できるとかそういうことは問題ではない。福祉制度などもある程度知っているので、お金がなくてもなんとかはなることは分かっている。でも、お金がないという恐怖に耐えきれないのだ。
昔、父が些細なことで私と他の家族を注意したことがある。些細なことだったので、父は笑いながら話していたのだが、話していくうちに怒りに火が付いたのか怒り始めた。そして怒りが怒りを呼んだのか、もっと怒りはじめた。
その様子はとても滑稽だったのだが、ある気付きを得た。他の家族がいて心強かったのと、内容が些細なことだったので、怯えることなく父を観察できたのもある。
まるで父は怒りが増幅しているかのようだった。
父の場合は怒りだが、私の場合は不安や恐怖が増幅しがちなのだろう。
思えば、お金のこと以外でもそうなりがちかもしれない。体に関することもそうだ。些細な不調や検査結果を大袈裟に捉えがちで、病気かもしれないと恐怖に震えてしまう。ひとしきり恐怖に震えるだけで、実際の体調や再検査の結果は関係ない。結果が出る頃にはケロッとしていたり、病院に出向くのは面倒くさがっていたりする。本末転倒というか、本題はそこじゃないのにと。
今のところ大病だった経験はないので滑稽でしかないのだが、この調子だと怖がってばかりで病院に行けずに手遅れになったりしそうで恐ろしい。そう言っているそばから怖がっていて目も当てられない。
どうやら不安や恐怖が増幅しがちなのは私の特性らしい。変えるのは難しいだろう。不安や恐怖とどう付き合っていくかがポイントのようだ。
現状以上に怖がっていると思っていたが、振り返ってみると、「かもしれない」という想像で怖くなっていることに気が付いた。想像力豊かだと褒められることもあるが、想像力に苦しめられている状態である。
ある種、怖い怖いと怯えることで現実から目をそらし、自分を守っているようにも思える。私が現実と向き合える日は来るだろうか。向き合える現実があるうちに向き合えるようになりたいものだ。
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