「皆が好きな色を選ぶ」それだけで世界はカラフルになってゆく

特に考えたことはなかったけれど、思えばいつもペンケースの中は一面ピンクだった。ペンケース自体はもちろん、シャーペンも定規も、コンパスでさえも。誰に強制されるわけでもなく、私が無意識のうちにピンクのアイテムを選んでいたからだ。中学生の頃、友人から「咲月のペンケース、真っピンクだね」と言われて初めて、自分はピンクが好きなのかもしれないと気づいた。
私はピンクもリボンも好きだし、スカートもジュエリーも、かわいい雑貨も大好きだ。休日にはクッキーを焼いたり、部屋にお花を飾ったりもする。我ながら随分「女の子らしい」と言われる趣味嗜好だと思う。
そんな私にとっては、最近「女の子らしい」という言葉がタブーのように扱われていることや、「女の子だってブルーでいいんだよ」の声ばかりが大きくなり続けていることが、とても寂しい。
前提として、一人ひとり好きな色が違うのは当たり前だし、そのこと自体は良いと思っている。しかし同時に、長年培われてきた「イメージ」というものもあり、そこに当てはめて考えると、どうしても女性は暖色の方が想起しやすいのもまた自然なことだと思う。それなのに昨今はそのイメージを口にすること、そこに重なっていると指摘すること自体がアウトだと言われる……この風潮は、果たして本当に正しいのだろうか。
私はピンクが好きだし、そんなところを「女の子らしいね」と言われたら素直に嬉しい。だって私は女の子だから。「女の子らしい+命令形」を使うから暴力になるだけであって、その言葉単体なら、性を肯定する素敵な褒め言葉だと、私は思う。自分の性を肯定してもらえるというのは、誰であっても嬉しいことだろう。ただ、自分がそうだからと言って、ピンクを好きじゃない人やいわゆる「女の子趣味」を持たない人についてなにか思うことはない。つまり、ピンクを好きな人 VS ブルーを好きな人の構図は、本当はない。
それなのに、なんだか「ピンクを好きだ」と言いづらくなっているのは、ブルーが好きな人に遠慮してしまうのはきっと、時代の影響だろう。マイノリティを擁護しようとする人たちの声が、いつしか「ムーブメント」から「マジョリティ」と見紛うほど大きくなってきて、実はかえって多様性を阻害しているような気がする。
そんな世の中に、私は言いたい。「もう、互いの好きな色に干渉するのはやめよう」。
ピンクでもブルーでも、グリーンでもオレンジでもいい。誰もがすべての色を好きになる権利がある。どんな色を好きでも、嫌いでもいいし、それを言っても言わなくてもいい。ただ、他人に対してわざわざ「ブルーでもいいんだよ!」と言うことだけを、やめないか。ブルー同士、ピンク同士で徒党を組むのを、やめないか。
私たちは、他人に促されなくても、好きな色くらい自分で選べる。それぞれが好きなようにすればきっと、世の中は自然とカラフルになっていく。人は本来、十人十色なのだから。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。