適応障害になって休職したときは、働いていない自分に心の底から自己嫌悪があった。休む期間だと分かっていても、カフェに行けばカフェで働いている人がいて、電車に乗れば電車を動かしている車掌さんがいる。彼らの働きを享受しているくせに働いていない自分というのに申し訳なさが募った。

◎          ◎

今思えば、私一人が数ヶ月、ましてや数年働かなかったところで世界は何ら変わらないのに、何の責任を感じて自己嫌悪を抱いていたのだろう。会社で私はクライアントを10社担当していたけど、突然辞めてもその会社は潰れていない。私が抜けた最初一ヶ月くらいは穴埋めに忙しかっただろうが、一ヶ月も経てば私がいたことすら頭から抜けている。私も残された側の人間としての経験があるから分かる。一人いなくなったところで経営が傾く組織なんて、そもそもその程度なのだ。

二ヶ月の休職を経て、再就職し、無事辞めることなく一年が経過した。生活が安定すると精神も安定して、あの頃考えていたことや感じていたことを改めて振り返ると、随分自分に厳しかったなと思う。

日本の就活では、ガクチカや志望動機が重視される。それまでの自分が何を頑張ってきたか、それを経てこれからどうしていきたいか。

会社で働くにおいて、その人自身が何を目標とし、どう突き進んでいくかを面接で探られる。企業側としても、やる気がない人間は欲しくないだろう。挨拶もしないような人間は私も仲良くなろうなんて思わない。

ただ、成長ありきで働くことを見据える人間が果たしてどれほどいるだろうかと最近になってつくづく思う。「自分に甘い」という言葉をよく聞くし、適応障害になったときは自分に突き刺さっていた言葉だ。精神病を甘さだと言う人間も未だにいる。

◎          ◎

これは個人的な意見になるが、自分に甘くて何が悪い、と今は大声で言いたい。自分の機嫌も取れないような人間が社会で役に立つことはほとんどないように思う。

説教において「お前は自分に甘い」と説く人もいるが、そもそも働くモチベーションはお金である。成長したいだけなら逆にお金を払って習い事をしたり、資格を取ったりするが、働くにおいてはお金を稼ぐためでしかない。就活のとき「御社の役に立つ」「御社に貢献する」という言葉が心底嫌いだった。

私は私の人生のために働きたいのに、いつの間にか「会社のため」「社会のため」に話がすり替わる。そうして知らぬ間に身を粉にして働いて、一体自分が何のために働いているのか分からなくなって限界が来るのだ。

己の甘さを周りや環境のせいにする人間も確かにいる。しかし、まともな大人であれば、「成長すれば(出世や独立を経て)お金が稼げる」という真理に気づき、自然と成長するのではないか。私がそのいい例だ。過去の組織より今いる組織のほうが環境が易しいのに、できることもやりたいことも増えた。他人からの過度なプレッシャーと期待は、人を容易く潰してしまう。

◎          ◎

私のこの考え方は賛否両論だろう。「働くとは何か」はいつの時代も個人の問題で、人の数だけ正解がある。ただ、今まさに休職中の方や苦しんでいる方に届いて、少しでも救いになればいい。他人からの圧力でする成長にいいものは無いと断言しよう。