昔からトイストーリーが苦手、というより怖い。

なんのタイミングで観たのか、いつの間にか前ほどのアレルギーは出なくなったが、数ある映画の中でもう一度観たい、と思うことは今のところない。

一度見ただけなのでストーリーの記憶は曖昧だが、内容が嫌だったわけではない。
ただ、バズ・ライトイヤーやウッディのあの目、あの目が私は怖い。妙に人間に近しい人間ではない何かが、人間らしく動いている事が怖いのだ。

昔のアニメにはあった輪郭を形どる線がない、ということも少しだけ人間に近しくて怖い。

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一方で、アナ雪やラプンツェルに登場するキャラクターに嫌悪感を感じることは比較的少ない。トイストーリーのキャラクターよりも遥かに人間に近しいそれらに対する嫌悪感の方が少ないのは、人間役として登場する彼らの方がまだアニメチックだからだろうか。

いずれにせよ、人間が作り出したものの中で、いわゆる本物の人間、と呼ばれるもの以外が人間に近しく動きや思考を展開することに若干の不快感を感じる。

これはAIが作り出す人がデザインされた画像にも当てはまる。

このご時世、文字を打つだけで自分の想像に近い画像をAIが作り出してくれる。クリエイティブは無理だとかつて思っていた私の想像よりも、遥かに早く、高品質のクリエイティブをAIは生み出す。

膨大のデータから質問者の質問に最適な画像の組み合わせ、と言っても過言ではないかもしれないが、事実これまでクリエイティブと定義されてきた分野をAIは克服しつつあるのだ。

しかし私はあの画像が苦手でならない。 それはきっと、AIが生み出す人間をモチーフにした画像が人間に近しいからなのだろう。とはいえ、人間が描くリアルな人物がに不快感を覚える事がそうそうないことを踏まえるとこの嫌悪感の根源には、AIが生み出した人間に近しい何か、というところなのだろう。

そう思うと、私がAIに抱く人間らしい行為の根本が見直される、もしくはAIが非の打ち所がないほどのただの人間に成り果てるか、この二択になる。

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確実に人間に近しい何かへと成長しているAI。

その存在自体は、各々の社会的経験や環境による体験の不均質さを正すような画期的な代物だと言える。しかし、ふと感じる不気味さ、これが拭い切れるためにはきっと人間が人間を作り出す時のような、種の生存行為と似たような状況から生まれてくるしかないのだろう。

どんなに便利でも、人、と、人が作り出した何か(人間は除外する)には、圧倒的な差がある。それはもはや、差というよりも生きる上でのステージの違いと言っても過言ではない。 

人間に近しい何か、ともすれば人間よりも頭のいい何かというのはこれからも生まれてくるだろう。しかし、それらは人間ではない。私たちはAIに頼りはするが、主導権を渡すつもりはない。 烏滸がましくて恐縮だが、この世界において主導権を握るのはいつだって人間なのだ。

◎          ◎

AIとの、私なりの最適な距離はただの人間が作り出した便利ツールと使用者くらいだ。

どんなに優れていたとしてもAIや所詮人が作り出した産物。
人間生活を豊かにするためのサポートであって主役ではない。

いつの間にか私たちの日常に溶け混ざり合う。その部分をしっかり念頭に置いておくことで、時代に食われずに済むと思う。