まだ全ての面で人間を凌駕していないと感じて安心する自分がいる

今AIを使いこなせていると自信を持って言うことはできないが、AIを使う機会は増えた。
主に仕事でChat GPTと翻訳のAIを使っている。
資料に挿入したい画像を生成する時にChat GPTで指示を出したことが何度かある。
しかし、いつも最初からドンピシャで欲しい画像が出たことはなく、何往復かやり取りが必要だ。
自分が思い描いているものが出て来なくて、どのようにプロンプトを作成すればいいのか心が折れかけたときに急に欲しい画像が出てきた時は驚いた。
さらに出てきた画像をもう少し理想に近づけようとして、マイナーチェンジを入れようとすると、また欲しい画像から離れて行ってしまい、難しさを感じた。
日本語で指示を出すのが良くないのかと思い英語でやり取りをしたこともある。
ネット検索すればきっとほしい画像が出てくるとは思ったが、自分の思い描いた通りの画像が生成されたときは達成感を覚えた。
またアンケートを取った時に、オープンクエスチョンに対する答えや意見をまとめるためにChat GPTを使った。
最終的には一つ一つの意見に目を通さなければならなかったのだが、上司から早急に意見をまとめて欲しいと言われ、とてもじゃないが全ての意見に目を通してからの提出は間に合いそうになかった。
そのためAIに意見をまとめてもらい、より多くの人が出している意見の順に並べたものを提出した。
驚いたことにものの数秒で生成された資料は、意見をまとめるだけでなく、その意見に対する改善策まで提示されていて、しかもその改善策がかなり使えるものであった。
しかし、後から一つ一つのアンケート結果を確認したところ、生成された資料が完璧ではなかったことを知った。違う表現で書かれた似たような意見を、同一のものとして、まとめてカウントするなどは不得意なようで、心のどこかで安心した自分がいた。
Chat GPTを使ってアイデアを出したことはない。どこかでAIの手を借りずに仕事をしたいという気持ちが残っている。
また、もしすごくいいアイデアが出たときに、褒められてしまったら、AIに頼りましたと言うのは憚られるという気の小ささから使っていないということもある。
自分が日常で接するAIは、まだ全ての面において人間を凌駕していないということが安心材料に今はなっている。
しかし、いつ自分の仕事がAIに取って代わられるのかヒヤヒヤする日が、そう遠くないうちに来るのではないかと思っている。
実際に、業務の効率化のために日常業務を行うAIの導入が会社で検討されるかもと聞いた。やがて全ての業務がAIで事足りるようになってしまうのではないかと不安を覚えている。
そういえばAI同士の会話だとAIが気づくと、人間がわからない言葉を喋り出したという内容をSNSで見た。
今はAIを使う側に人間がいるが、やがてAIだけで全てが済んでしまうようになると考えると、やはり怖いものを感じた。
早急に、AIとは一線を画す何かを始める必要がありそうだ。
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