休めるわけがなかった私に訪れた突然の休暇。必要だった意味を考えた

私が休もうと思うときは私だけでなく仕事(店)ごと、そして収入ごと休むことになる。
それは人員が一人であるが為に代わりになる者が居ない職場であるからであり、今はその説明を省かせてもらうが呼ぶなれば「雇われ店長」であるものの、労働の・雇用のという意味では個人事業主であるから「有給」と呼べるものがないからである。
だから、出来るだけ休みたくないし、休めない。それでもごくたまにある冠婚葬祭や急病では臨時休業にさせてもらうことはある。しかしやはり、売上と引き換えにそこへ赴くのだ、ということが脳裏のどこかにある。
しかし致し方ないことだ。そんな、休みにしてしまえばしてしまう程稼ぎと信用が失われてしまう立場に身を置く私は3ヶ月前に「休職」と呼べるだろう期間を過ごした。不本意ながら、そして急に。
3ヶ月前、10月の終わりのとある日から店ごと私は約3週間の休みになった。休むことを命じられたのだ。オーナーから。それは私の体を慮ってのことではなく、私の精神と店を慮ってのことだった。指示に従うことが出来ない、頼まれたことが遂行出来ない、やり始めたことをやり遂げられない、最低限のことや以前はやれていたことが出来なくなった。
精神を病んでいたのかと、振り返る今も、あの時もそうだとも言えるが、それをそうだとは認めたくないと思う。しかし何もかもが「最悪」の状態だった。掃除を怠った為に店は汚れ、害虫が住み着いた。害虫が客前に出てしまい、謝りつつ処理をしても、「飲食店は仕方ない」「1人だから大変」とそんなことは無いはずなのに、恐らく憐憫からそう言わせてしまい、仕方のないことにされてしまう申し訳なさが常にあった。
それで居ながらもどこか私自身も「1人だから大変」にかまけていた。伝票処理や入金などのお金の管理を怠った為に、その時に店が儲かっているのかどうかさえ分からなかった。何一つ「良い店」ではなかった。私がそうさせていた。立て直さなくてはと思うには思っていた。
しかし私はやらなかった。何一つ。それがただ単に面倒くさかったのか、精神を病んでいたからなのかは今でも分からない。そして「休むわけにはいかないから」と謎の使命と惰性で日々とりあえず店を開けて過ごしていた。
そこへオーナーからこのままではダメだと真剣に話され、このままなら店をやるな、と命じられて、店ごと閉め、何もかもを立て直すこととなった。オーナーは店を徹底的に掃除をし、害虫が巣食っている箇所を潰してくれた。私は初めの1週間と少しは精神科医の勧めるまま自宅でとにかく「休んだ」。
体を横たえながら、店に立たずに過ごした。店を休業すると同時に、このような状態に陥ったことは心に原因があるのだと思い、オーナーに付き添われて精神科を受診した際に医師は、仕事がストレスを与えているから離れて休みなさいと言ったからだった。
その頃は仕事のことを考えると気持ちが沈みがちであったから、それは事実ではあった。しかし、実際に仕事を離れて「休んで」何が良くなっているというのだろう?としか思えず、事実、収入は止まってしまうし、私の収入だけでなくオーナーにも負担をかけている…と考え始めるとなんの安らぎにもならなかった。
だから、店の掃除に加わることにして残りの2週間を過ごした。元はと言えば、私が汚した店なのだから私がやるべきであったのもあるから。オーナーに命じられるがまま、店から離れ、医師に言われるがまま、仕事も置いて休んでいる間は、漠然ともうかつてのように店に立つことは出来ない気がして、「休み」のままフェードアウトして「終わり」にするしかないのかと考えていた。
しかし、店を綺麗にしに掃除をしに行動すると、きちんと再開するための「休み」なのだと考えられるようになった。もう商売ごと辞めてしまうのであれば、すべてぶち壊せば良いのに、オーナーは掃除をしていた。立ち上がる為の、再び歩み直す為の「休み」なのだと分かった。
3週間の掃除の甲斐あって、店は文字通りスッキリとし、オーナーは良い機会であるとして店舗の働きにくい箇所なども直してくれた。ついでにメニューも一部リニューアルをし、店の方針やコンセプトも少々テコ入れをした。
これまでは箔付けの為に謳っていた、私がオーナー店主であるということを止めることにした。これからは、オーナーという存在がある上で働いていくことにした。オーナー店主であると語り、「20代の女の子が一人で頑張っている」と映すことを止めた。実際に私は頑張れて居なかったし、お客さんを欺いているような気がしていて気が重かったのも事実だったから。
今一度、急遽することになったこの「休職」は、私に何をもたらしたのか、何のために必要であったのかを考えた。売上を止めてまで設けた3週間の期間は、店に対しては害虫を取り除き、清潔な空間へと掃除をする為に必要であった。
オーナーに対しては私が私の精神面以外でも店舗としての不具合や、働きにくい部分があったことを知る為に必要であった。私に対しては。それは恐らく、私を求めてくれる人や、支えてくれた人への信頼に応えるべく、真摯な態度を持つことに気がつく為の期間であったと思っている。
11月の収入は痛かったけれど、それは己の蒔いた種。これもまた、その厳しさを知る為にあった気すら、してくるのだった。
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