できなかった休職の選択。私が職場に「辛い」と言えるようになるまで

「休職」は「退職」よりも難しかった。
限界の先で「休職したい」と願い出たとき、返された言葉は、「ストレス源は何なの?」。
あなたたちです、などと言えるはずがなかった。
「やりたいことが明確になった。ここでは実現できない。その違いが辛いから」
本当のことを言った先で、私を守ってくれる人などあの場所にはいないから。
どうにかして敵の陣地から致命傷を負わずに退散しなくては。
「じゃあ退職しよっか」
そうして私は休職できなかった。
振り返って思う。退職でよかったのかもしれない。「退職」は手続きさえ済めば二度とあの戦場に向かわずにすむ。
一方で「休職」とは、すなわちいつか復帰するということ。
限界だと感じたあの場所に戻り、再び戦いに身を投じるという約束だ。
あまりに残酷な契約ではないか。
休んだ先の未来で自分が元の場所に戻れると、それを周りが受け容れてくれると、職場への信頼がなければできない決断ではないか。
今の仕事で「休みたい」と思うことはあるが「休職」の選択肢が浮かぶことはない。
休んだところで、何かが変わると期待していないからだろうか。
今の職場は、人間関係にかなりの問題がある。横暴な上司があまりにも敵を作りすぎている。初めて会った他部署の人たちでさえ、不憫さゆえに私に優しくしてくれる始末だった。
自分の親より年上の上司たちによる、全くついていけない会話を愛想笑いで受け流しながら、時々隠れて錠剤を飲み込む。
そんな時は、自分を責める声が内側から響いてきて鳴り止むことを知らない。
新卒一年目で大失敗をこいた自分にはこんな席しか残されてないんだ、と。
その声を抑えるために薬を頼るようになっていた。
でも「辛い」とは職場の誰にも言わなかった。
もし誰も受け止めてくれなかったら?打ち明ける前の環境には戻れなくなったら?
空しい気持ちを抱えながら帰路に着き、理由もわからず泣く夜を過ごした。
それでもこの仕事を続けたかった。やりたい仕事だったから。
ある時、転機が訪れた。
初めての海外出張で、他部署の先輩たちと夕食を共にした時のこと。
お酒のせいか、初めて訪れた街に浮き足だったせいか、今まで蓋をしてきた言葉たちが滑りでた。
上司に言われて嫌だったこと。困っていること。腹を立てたこと。
酒の席だ、これは所詮憂さ晴らしだと思っていた。
でもその場にいた一人は、私のとめどなく溢れる不満を、単なる愚痴ではなく「問題」として受け止めてくれた。
「日本に帰ったら所属替えできないか相談するよ」
帰国後の方が、渡航前より大きなストレスがかかっているのを如実に感じる。
寒い夜をうずくまって耐え続けるより、凍えそうな夜明けに向かって歩き出す方がしんどい。
希望も持たずにただ耐えていれば、次第に痛みに慣れ、いつか麻痺して楽になっただろう。希望を持つことを知ってしまったら、現実がいかに程遠いかを思い知ってなお辛くなる。
歩き出したらもう痛みを感じない頃の自分には戻れない。
でも、明日を変えることを望むなら、今日を変えなきゃと歩き出した。
受け止めてくれた人を信じたいと思ってしまったから。
そして、抗不安薬を飲みながら仕事をしていることを打ち明けた。
聞いてくれた相手は、ただ優しく頷いてくれていた。
そして前向きに変えていこうと色々な提案をしてくれた。
打ち明けた直後は「言えてよかったのかな」と「言わなきゃよかった」との相反する声が頭の中でせめぎ合って、ほとんどパニック状態だった。
そんなに優しく頷かれたら、今まで必死に大丈夫なふりをしていた自分が崩れてしまいそうだった。まだ逃げていたい自分がどこかにいる。
でももう、現実と向き合わないといけない。
それはたまらなく怖いけど、一緒に働き続けられるように、「大丈夫じゃない私」を受け止めて、一緒に考えてくれる人がいるならば。
痛くて仕方ないけれど、自分の足で、変えていくために踏み出すんだ。
今このエッセイを読んでくれているあなたは、休職をしたい人だろうか、休職をした人だろうか。
本当の意味で自分を守るために、大丈夫なふりをやめて、痛みを受け容れ、「休職」を申し出ること。
その決断はどんなに強く、尊いものだろうか。
あなたの、その勇気を讃えたい。
明日を変えるために、夜明けへ向かうことを決めたあなたに、幸多き未来のあらんことを。
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