失敗した中学受験の経験は未来を自分で切り拓く大切さを教えてくれた

私は中学受験に失敗した。1校だけでなく、複数校受験したけれど、全敗だった。当時は、自分の実力不足が原因だと思っていた。もちろん、それもあると思う。けれど、今思えば、私に一番足りていなかったのは、「合格したい」という心の底からの強い想いだったと思う。
小学校3年生の終わり頃から、塾に通うことになり、気が付けば、中学受験をすることになっていた。初めはなんだかよくわからないまま親に連れられて入塾説明会に参加。しかし、通っているうちに、同じクラスの子と話すようになった。
私から見たら、みんな賢い子ばかり。決して学校の授業の補助としてではなく、みんな中学受験のために必死で勉強していた。塾で習うことは学校では習わないようなこともたくさん。レベルも高く、必死に食らいついていた。
私は塾は「通うもの」という認識のもとで通っていた。それが知らず知らずのうちにストレスになっていた。小学校高学年になると数々の学校の過去問を取り組むようになった。夏休みのとある日、私は過去問を解きながら、ふとこんなことを思ったことがある。
「なぜ、学校のみんなは普通に遊んでいるのに私だけこんなに勉強しないといけないんだろう。今日は花火大会の日なのに」。それが私の心の声だったのである。けれど、当時はその心の声を殺していた。「私は中学受験をする。そのために勉強しているんだ」と無理やり自分に言い聞かせるしかなかった。
そして、いよいよ受験本番が近付いてくる。本番直前、私はストレスで精神的にも肉体的にもかなり弱っていた。私の中で半ばもう受験なんてどうでも良いという気持ちもあった。それを塾の先生に伝えると、「今更、直前になって何を言っているの?」と言われる始末。その先生の言いたいことも大人になった今はわからなくもない。しかし、当時の私は嫌で嫌で仕方なかったのだ。
受験本番、どの学校も欠席することなく無事に受験できた。しかし、結果は全敗。合否発表の掲示板を見に行った帰り道、私は肩を落としながら、トボトボと歩いていた。私の隣で母親が小学校の担任の先生に連絡し、「ダメでした。地元の中学校に通うことになります」と話しているのが聞こえた。担任の先生は私がショックを受けていないか電話口で心配してくれていた。確かに、掲示板に自分の受験番号がなかったことはショックだったけれど、その大きさはそれほどではなかったことが自分でも驚きだった。
それは私自身、何が何でも合格したいという気持ちを持っていなかったからだと思う。塾のクラスメイトはもちろん合格している子も多数いた。けれど、その事実をまるで気にも留めなかった。「そりゃあ、〇〇ちゃん、賢かったもんなあ」という想いだけが、ただただ募った。
そして、地元の中学校に入学。私が中学受験をすることはあまり学校で公にしていなかったので、幸いにも受験に失敗したことを周りの子たちにからかわれるようなことはなかった。
中学時代は私の意思で塾には通わず、その代わり、通信教育を始めた。通信教育はもともと幼稚園の頃からずっとしていて、通塾を機にやめてしまっていた。けれど、それを再開することに。通信教育は毎月教材が届くので、自分で学習計画を立てないとすぐに溜まってしまう。
けれど、それがむしろ、私の性には合っていた。塾はみんなのペースに合わさなければならず、それに付いていくのが一苦労だったけれど、通信教育なら自分のペースで進めることができる。もちろん、独力では理解できないことも数多くある。けれど、何度も質問をしたりして自分なりに頑張った。その結果、高校受験では無事に第1志望の高校に合格。嬉しい限りだった。
中学受験に失敗したことは黒歴史だとは思っていないし、その頑張りは決して無駄ではない。実際、高校受験成功にも活かされたし、何より就職活動時に大いに助けられた。就職活動とは切っても切り離せないほどつきまとったSPI試験。この試験勉強をする時に中学受験時に養った知識が実を結んだのだ。
中学受験失敗を振り返って、当時の私は嫌々ながらも、我ながらよく頑張ったと思う。中学受験という競争には負けてしまったけれど、最後の最後で、自分の未来は自分の手で切り拓きたいという強い想いが勝利を掴んだのだと思っている。
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