母譲りのエネルギーを使って、この時代で生きることを楽しみたい

聖母であろうと毒母であろうと、この世にたった一人しかいない母親という存在は、子供にとってかなり大きなものだと私は認識している。
曲がりなりにも26年間生きてきて、母との関係性にはものすごく悩んだ。本当に性格が真逆で、野暮な言葉を用いるならば母は陽キャで私は陰キャだ。これは本人にも言ったことがあるが、もしも同級生で同じクラスにいたら絶対関わらなかったとさえ思う。相互理解が難しい。
母は小さい頃から基本的に家の中ではあまり機嫌が良いところを見たことがないが、なにか外部からの働きかけやイベントがあった場合にはニコニコする。いわゆる、外面がいいというやつである。これは割と母親あるあるかもしれない。
今となってはまあそれだけ気を張って2000年代前半という時代を生きていたのだろうと思えるし、祖父母(私から見て曽祖父母)を頼りに引っ越してきたのにすぐにあの世に行ってしまうし、自分の母(祖母)も続け様に亡くしたから心許なかったことだろう。
母は過保護・過干渉で父は無関心・母任せの、教育的には良くないとされる親のカテゴリーに属している。でもやりたいことは大体やらせてくれたし、精神的な干渉以外は放任主義的であった。お金や学歴第一主義ではない、どちらかといえば愛を大切にする中流家庭だ。世間体を取り繕うようなこともない。悪く言えば社会に鈍感で、良く言えば見栄を張らないのだと思う。
パートから資格を取得して会社員になって、途中父が病に倒れ4人家族を一馬力で支えてくれていた時期もあり、その努力や大変さを隣で見てきた。
エッセイを書く時に、18の時に田舎に引き留めたことを恨むような描写をいつも入れてしまう。でも、そうやって繰り返しアウトプットすることでようやっと気持ちの整理がつくようになって、文面では恨み節になっているが今では気持ちは晴れ晴れとしている。
実に色々な感情が混ざり合い、悲喜交々な母子関係である。嫌いになろうと思い毒親扱いした時もあったけれど因縁というものなのだろうか、それとも家族愛なのだろうか。離れて暮らしていてもやはり長い期間連絡をとらないと少し寂しくなるし、若いが低体温な私よりウン十倍覇気に富んだ声を聞くと元気をもらえる。いなくなったらどれだけ寂しいだろう。太陽が沈む。
「母は強し」とは世間よく聞くところだけれど、本当にそうだと思う。
子供を産めばみんなそうなるのだろうか?他にも「お母さんの顔つきになった」とかもよく言うが、母性が優しさに繋がりそれが表出してくるのかもしれない。
子供をもうける予定はまだない。でも、私にも女性の本能的な強さのようなものが最近出てきたような気がする。母にしかないと思い込んでいた、ウーマンエネルギー。
依然として精神疾患はあるし弱気ではあるものの、肝が据わってきたというのかこの国にこの時代に女として自分として生きることへの意力のようなものが俄然と沸き出てきた。それは創作活動を通して得られたものでもある。壮大な気負いだが、この受け継いだパワーを大切に使って楽しんで生きていきたい。
母娘関係で悩んでいる人もきっと多いと思う。母娘という関係性は良くも悪くもいつの時代でも小説や戯曲などのテーマになる。普遍的な悩みの種なのだろう。簡単に白黒分けて絶縁なんてみんなができることではないから、悩みながら右往左往して自分なりの心地良い正解を見つければ良いのだ。
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