「ままきらい すぐおこて きらい」
これが母に初めて書いた手紙だった。
「ママ嫌い。すぐ怒って嫌い」
バイキンマンのメモに書かれた枠を無視して書かれたガタガタの字。
母に初めて書いたというより、私が人生で初めて書いた手紙がこの一文である。
この話は思春期のあたりから私の中で「これほどまでに幼い頃から私は母を憎んでいる」という話題になると必ず出てくる話である。
何度も勉強しなさいと怒られて、そんな部活なんかあんたは運動音痴なんだからやめろ、と部活にすら首を突っ込む。私が仲がいい友人と喧嘩した時はその友人を帰り道で怒って、私が教室でいづらくなったこともある。
お母さんさえいなければ、うまくいってたのに。
孤立した教室の机でうつむきながら泣くのを我慢した。
◎ ◎
本当にすぐ怒ったし、一人っ子ということもあってどう考えても過干渉すぎる母だった。
正直なところ、毒親という言葉で表してもいいんじゃないか?とまで思っていた。
結婚後も、妊娠しても、出産しても毎日母が来る。
いくら実家が近いとはいえ、そんな親いるかよ。
過干渉すぎる、毒親だ。
毒親なんだろうか?
娘は毎日「じゃーちゃんまだ?(おばあちゃん、まだ?)」と私に尋ねる。
じゃーちゃんと呼ばれた母は毎日孫に会いにきて、とても幸せそうだ。
その姿を見て「よかった」と思う。
母のところに生まれてよかった。の「よかった」でもあるし、娘に出会えて「よかった」のよかったでもある。
エッセイなんだから、エピソードを書き連ねたいものの、とりわけ劇的な仲直りをしたわけでも、ふと言った母の一言で愛されていることに気づいたというわけでもない。
しいていうならば、母は祖母になり、私は母になった。
苦しい思いや悲しい思いをして欲しくない、幸せな道を歩んで欲しいと祈りまくってやまない存在が私にも産まれた。
本当にそれだけ。
◎ ◎
幸せすぎて、たまにすごく悲しいことを考える。母が死ぬ間際だ。
私はすごく泣いている。
母は「大丈夫だから。あなたは孫と一緒にいてあげて」と言う、というとても考えたくない悲しい想像。私のことが心配で、いつも気にしている母だから、そして私はその心配され、気にされている娘だからこそ、絶対にそう言うという想像だ。確信してるとはいえ、先のことなんてわからないし、どう死ぬのかは実際のところわからないのだが。
そんな未来の想像を通して、私は娘に何ができるだろう。
母のように娘に尽くせるのだろうか。
ああ、でも過干渉なのは間違いなかったし、母より少しだけ力を抜きたいな。
母を見習いながらも、私と娘が一番良い関係になれれば、それが一番だな。
そんなことを考えながら、今日も母と娘と公園とショッピングセンターへ向かう。
そういえば。
いつも語るエピソードでは、恥ずかしいので端折っていたが。
いつかの私はその直後に、こういう手紙も送っている。
「ママ、大 女子 き! 好きの好き!」