2011年3月11日の5限は図工の時間だった。小学4年生だった私は、夢中で絵を描いていた。揺れた。揺れたけど、避難訓練みたいに校庭に集まることはなかった。私が住んでいたのは、愛知県だったから。強いて言えば、その日はなぜかお風呂を沸かしたら黒い水が湯船に溜まって、シャワーで済ませたことぐらいしか記憶にない。テレビはどのチャンネルに合わせても、繰り返し津波の上空からの映像が流れていた。その映像は全然自分ごとではなく、どこか遠い世界の出来事のように思えた。次の日もその次の日も私の日常は何も変わらず繰り返された。

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その8年後、大学進学を機に東北地方に住むことになった。特別東北に行きたかったわけではない。運と縁で合格をいただいた大学が、東北にあったというだけだった。センター試験が思うようにうまくいかなくて、志望校を変更した先だった。こっちに引っ越してきた日は雪が降っていて、3月なのに寒くて、ホームシックも相まって泣きそうになっていた。

入学時には震災に関するアンケートが取られた。身近な人で亡くなった人はいたか、当時どこにいたか、家屋はどのくらい壊れたかなど結構詳しく問われる。私はすべての質問の『いいえ』の欄にチェックマークを付けて提出した。こんな回答で私がこのアンケートを提出する意味があるのかと思った。あのアンケートは今も変わらず取られているのだろうか。

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毎年3月11日は少し気を使う。友人をランチに誘うとなると、避けた方がいいかなと思う。震災をど真ん中で経験していない私にはわからない。どれだけ3月11日を勉強しても、当事者にしかわからないことが絶対ある。

もしかしたら私の考えには過剰な部分があるかもしれない。実際、「学校が休みになってラッキーって感じだった」と話す人もいた。一方3月11日に何となくいつもより口数が少なくなる人や、はっきりと「今日はもう全部無理」という人もいる。どこで誰がどんなふうに感じているかわからないから、3月11日はもちろん、他の日も私から震災の話をすることはない。

東北に来て度々震災を感じる。大学の授業でも何度も触れられたけど、そういった類に興味を持つのは東北以外の出身者に多い気がした。かさ上げされた街並みや、どの高さまで津波が来たかを知らせる看板がある。引っ越ししようと思ったら、築年数が14年を超えるものが殆どなかったなんてこともあった。

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そして、被災していないのにその恩恵をただただ享受している気もしている。大学の研究室の物品は、震災直後の支援金を利用して購入されたものが多数あり、真新しいものも沢山あった。そんな物品を、そこにあるから当たり前のように使っていた。復興支援を機に始まった活動に、東北在住という理由で参加できることもある。その活動を楽しんでいる自分がいる一方で、これでいいのかという気持ちもある。

私にとってここは故郷より好きな街。それは震災どうこうとか全く関係なく、この雰囲気とここに住む人の感じが良い。美味しいものもいっぱいある。大学卒業後も東北に残るつもりでいる。東北訛りを話すおじいさんやおばあさんの言っていることは、まだいまいち理解できない部分があるけれど。