グレーな私の責任感や命の天秤が試される日が二度と来ませんように

私が小学校低学年の頃、東日本大震災が起きた。
それは、授業中に突然起こった。
身体が大きく揺れたかと思ったら本棚から本が落ちてきた。
慌てて先生の指示に従い机の下に隠れるが、普段とは異なる雰囲気に「これはいつも通りの地震ではないのかもしれない」と心臓がバクバクして息苦しさを感じた事を今でも思い出せる。
小さな余震と短い本震を何度か繰り返し、私の住む地域はめちゃくちゃになっていった。
道路はクネクネと波打ち曲がり、電柱や木が倒れて帰路を塞いだ。
みんなでグラウンドに避難して、家族が来るのをじっと待った。
1分がものすごく長く感じ、何度も何度もじわじわと起きる余震に涙が出た。
避難したグラウンドからチラリと後ろを振り返ると校舎が一部崩れておりこれは現実で起こっている本当のことなのだと教えてくれた。
よその家族がちらほら合流できていたが、私は待ち望んでいた母の姿が見えず不安だった。
仲の良い友達が蹲り泣いている私の背中をさすり何か言っていたが不安でもう限界だった。
当時、鍵っ子だった私は先生に内緒でガラケーをランドセルに入れて持ち歩いていた。
もちろん、震災の時真っ先に母に連絡をしたが迎えに行くと返信が来たきりだったのだ。
少し経ち、母は車では無く徒歩で現れた。
車道がとても使える状態では無くところどころ穴も空いていたため途中に車を停めて走って迎えに来てくれたそうだ。
遅い!!と迎えに来てくれた母に泣いて縋った。小学生だった私が世界で一番安心だと感じていた場所は紛れもなく母の側だった。
ライフラインも止まり、小さな家に母と2人。
真っ暗で寒い部屋の真ん中にラジオと充電が残りわずかとなったガラケーを置いて過ごした。電波障害で祖父母の安否は不明。トイレも流れずお風呂も無し。
備蓄のホッカイロと二リットルペットボトルの水、お茶を大切に消費していった。
ラジオについていた手動発電できるミニライトを力いっぱい回して部屋に一時的な明かりをぼんやりともして過ごした。
ぐちゃぐちゃの家の中で世界が終わるのかも。
こんな怖い思いをするなんて。この生活はいつまで続くんだろう。そんな不安でいっぱいになりながら復旧を待った。
母は本当は心細かっただろうに気丈に振る舞っていた。
今思えば、母は、外に出れば介護士であった。災害時はたまたま公休で在宅していたが、もし職場にいたとしたら母の優先度はどうなっていたのだろう?と嫌でも考えてしまう。
自分も今看護師として働いているが、もしまたあのような大震災が起こってしまったら...とこの時期は特に考えることが多い。
仕事中には責任がついてまわる。職場の避難訓練では、まず第一に自分の安全で次に患者の命を!と教わった。命に優劣をつけることはいいことでないと思うだろう。しかし、誰かの命と自分にとって一番大切な母の命や安否を天秤にかける状況が起こってしまったら私は訓練通りに動けるのだろうか?
また、ライフラインが止まり連絡も取れず安否も確認できない状態で。
私はもしかしたら無責任だが全て投げ出して逃げてしまうかもしれない。そう母に伝えた時に言われた言葉がある。
私たちにも家族がいて大切に思うように、患者様にも家族がいて心配する人がいるんだよ。だ。
健康な私たちには逃げる手段があり、危険な場所から速やかに遠ざかることができる。
しかし、入院中の方は高齢だったり体が思うように動かない場合がほとんどだ。誰かの助けがあれば助かる命がほとんどなのだ。
それがもし、自分の家族だったら?と考えてみると平等に助けるべきであると思えた。
だが、緊急時に助け合って避難するのか、逃げ出してしまうのか。それは実際に起きてみないとわからない。
また、悪夢のような震災が起きてしまう事がないように切に祈る。今ははっきりと言う事ができないグレーな私の責任感や命の天秤が嫌でも試されてしまう日が二度と来ませんように。と。
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