私には大切に思う親友がいる。「ナイアガラを綱渡りする彼女の肩に乗れるか」と言われたら、躊躇わず頷ける相手だ。

一生の友人だと思っているし、今までの人生における私の最愛である。けれど彼女とは、もう2年間会うどころか、連絡すら取っていない。

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絶交したわけじゃない。ただ、私が彼女にやんわりと距離を置かれ、私も彼女を尊重するように努めている。

理由もちゃんとわかっている。私が彼女に負担をかけすぎてしまったのだ。
機能不全家族で苦しむ私を、彼女は10年近く支えてきてくれていた。家族に吐き出せない気持ちや悩みをいつも彼女に聞いてもらって、私はティーン時代を乗り切ることができた。直近でも家族に色んな変化があり、追い詰められた私に寄り添ってくれたのも彼女だった。
20歳の誕生日、夜の公園で海を眺めながら、死にたいと零した私に、彼女は「あなたが死にたいならそれでもいいけれど、私は悲しいよ」と言ってくれた。

振り返ってみると、私は本当に彼女に依存していた。彼女もよく10年以上、こんな私を見捨てず傍に居てくれたものだと思う。
それはきっと優しさもあっただろうが、恐らく多少なりとも彼女に余裕があったからだったのだと気づけたのは、彼女と最後にLINEをやりとりしてから1年が経った頃だった。

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もともと私たちはそれほど頻繁に連絡を取り合う仲ではなかった。学校が離れてからは、半年に1回会うか会わないか。それでも偶にLINEをすると、普通に会話ができる間柄だったと思う。

彼女はあまりマメな性格ではなく、1週間返事が来ないこともザラだった。それでも、今度会わないか、会えそうな時期を教えてほしい、という誘いに2カ月近く返信がなかった時、私は流石に不安に思った。

確かに大学院生になった彼女は多忙を極めていた。論文や発表準備が終わらず、同窓会も直前にドタキャンをするほど、真剣に勉学に励んでいたのだ。けれどそれまでは会えないにしろ、「当面は難しい」という一言を少なくとも送ってくれていた。

元気にしているのかな。もしや、何か病気とか、家族のこととか、ハプニングがあったのでは。心配になった私は、別の友人に頼んで彼女と連絡を取ってもらった。
そうしたら、友人は数分と置かず、彼女からの返信を受け取れたのだった。

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その時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。どうして?という純粋な疑問と、悲しみ。憤慨。彼女に何かしてしまったのかもしれない、という不安。
心優しい友人は彼女に、私へ返信しない理由を訊いてくれた。そして彼女から「最後に会った時、少し距離を置きたいと思った」という本音を引き出してくれた。この友人にも頭が上がらない。本当にありがとう。

私と彼女が最後に会ったのは、私が社会人、彼女は大学院生になったばかりの頃だ。
その時の私は例にもれず不安定で、しかも環境が変わったせいでそれが顕著で、自分で思い返しても彼女にずっと励ましてもらっていた記憶がある。同じように大学院生としての生活にまだ不慣れだった彼女には、それが非常に負担になってしまったのだろう。距離を置きたい、と思われるのは当然だった。少し時間がかかったが、私は彼女の立場になって考えてみて、納得した。納得したけれど、距離を置かれた事実が悲しくて、久々に涙が溢れて止まらなかった。
そうまで彼女に負担を掛けて、気づかず甘えてばかりいた自分が、本当に情けなかった。

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あれから1年、彼女と連絡を取らなくなって2年が経った。
相変わらず家族はゴタゴタだが、今の私は安定してきている。
これまで彼女ひとりに集中していた心的な「頼り」は、より多くの人たちに分散させるようにした。誰かひとりに負担を掛けすぎないように、色んな人に時々、少しずつ話を聞いてもらって、私は今、笑って生きている。私を支えてくれている皆さん、本当にありがとう。

何より、パートナーを得られたのが大きいと思う。パートナーの器の大きさ、懐の深さには本当に助けられている。私の悩みも一緒に考えてくれてありがとう、愛しています。

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彼女とはまだ連絡を取れていない。友人を通じて、お互い落ち着いたらまた会おうね、と合意したきりだ。
けれど私は今も変わらず、彼女を大事に思っている。これから先、私に新しい家族ができたとしても、彼女は私の最愛のひとりだ。

今までずっと、長く私を支えてきてくれて本当にありがとう。
今度あなたに会えた時は、「もう大丈夫!」と胸を張って笑顔で報告できると思うよ。そしてあなたが辛い時、今度は私が支えられると思う。

近い未来、元気で会いましょう!愛してるよ!