「女の子なんだから」母に言われた言葉を、気づけば娘たちに向けていた

「女の子なんだから、もっとおしとやかにしなさい」
「女の子なのに、そんなに激しく遊んで」
気づけば、私の口からこんな言葉がこぼれている。
私は二人の娘を育てている。二人とも元気いっぱいで、走るのが大好き。公園では男の子たちと一緒に鬼ごっこをし、木登りだって楽しんでいる。でも、そんな姿を見るたびに、私はつい「女の子なのに」と言ってしまう。
そのたびに、娘たちは「どうして?」と不思議そうな顔をする。確かに、どうしてなのだろう?私は心のどこかで「女の子らしさ」という枠を作ってしまっているのかもしれない。
「女の子なんだから、静かにしなさい」
これは、私が幼い頃に母からよく言われた言葉だ。私もまた、外で遊ぶのが大好きな子どもだった。木登りも虫取りも得意だったのに、母は私をたしなめた。「女の子はそんなことをしないもの」と。
当時はただ「遊びたいのに」と思っていた。でも、大人になるにつれて、その言葉を当たり前のものとして受け入れていた。「女の子はこうあるべき」という考えが、無意識のうちに私の中に根づいていたのだろう。
そして、気づけば私は、同じ言葉を娘たちに向けてしまっていた。
ある日、7歳の娘が聞いてきた。
「どうして女の子は大人しくしないといけないの?」
私は答えに詰まった。
「うーん、昔からそういうふうに言われてたから……」
そう言いながら、私はハッとした。私自身、「昔からそうだった」という理由だけで、娘たちを枠にはめようとしていたのではないか?
娘は私の言葉に納得できない様子だった。そして、こんなことを言った。
「でもママ、私が元気に遊んでると『楽しそうだね』って笑ってるよね?」
確かにそうだった。娘が夢中になって遊んでいる姿を見るのは、私にとっても嬉しいことだった。なのに、なぜ私は「女の子だから」と言ってしまうのか。
私は、自分がかけている「女の子らしさ」の色メガネを少しずつ外してみることにした。
「女の子なのに」ではなく、「楽しそうだね」と声をかける。
「女の子だから」ではなく、「やりたいならやってみたら?」と言ってみる。
すると、娘たちは今まで以上に生き生きと遊び、挑戦するようになった。そして、私もまた、自分の中の色メガネが少しずつ外れていくのを感じた。
思えば、色メガネをかけていたのは私だけではない。社会全体が、昔から「男らしさ」「女らしさ」の色メガネを持っている。でも、それが本当に必要なものなのか、見直す時代になってきているのではないだろうか。
私は今でも時々、「女の子なのに」と言いそうになることがある。でも、そのたびに娘たちの顔を思い浮かべる。彼女たちは、私が持っていた「女の子らしさ」という枠を軽々と飛び越えていく。
そんな娘たちに、私は学ばされている。
「女の子だから」ではなく、「あなたはあなたらしく」。
そう言える母親になりたいと、今は思っている。
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