私の娘は幼稚園が好きではなかった。訳もわからず年少時代を過ごし、少しなれ始めた年中になってからが特に顕著だった。

製作では何をするかわからないから不安だと号泣し行き渋り、大好きなお友達と遊べなかったと怒る日がほとんどだ。帰ってきて話を聞こうにも話したがらない。先生に電話して初めて暗い顔をしていた原因がわかることもザラだった。

とにかく行きたくない。行きたいけど、今日の活動内容がわからないから怖い。不安にまみれた園生活。お腹が痛くなって幼稚園を休む日も多かった。

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娘はやりたいことがはっきりしていて、好き嫌いもはっきりしている。大好きなお友達とはずっと一緒にいたい。自分のしたい遊びを一緒にしたい気持ちが強く、なかなか上手くお友達と遊べている時が少なかったように思う。

実際、娘と同じようにやりたいことがはっきりしている子とは、上手く遊べず衝突しているという話を何度も聞いた。その都度、友達と遊ぶ際はお互いが楽しく遊べるように相手に合わせること、どうしても無理ならひとりで遊ばなければならないこともあると教えていた。上手くできない娘はその度に泣いては、私や夫に怒りをぶつけていた。

このままじゃ先の生活が思いやられる。不安に駆られた私は娘の習い事を増やし、幼稚園以外の世界もあることを教えた。習い事に行く日が増えることで娘の自由時間は減ってしまうが、習い事の練習や付き添いを通して私も娘ときちんと向き合う時間が増えたように思う。

習い事先での交友関係が増えたことで、少しずつ幼稚園に行きたくないという話は減ってきていた。

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行き渋りをしつつも、なんとか幼稚園に通っていた年中も終わりに近づいていた。個人懇談があり、私は先生に意を決してあるお願いをした。「娘をお世話してくれる子とクラスを離してほしい」。

娘は製作活動等で上手くできないことがあると、クラスの子が助けてくれることが多かったようだ。ひとりでいると仲間に入れてもらうこともあったそうで、ありがたいと思う反面このままでいいのだろうかと疑問に感じた。

子供同士で助け合う方が、お互いに成長し合うのかもしれない。でも娘がそれに甘え続けるようになったら?相手の子がずっとフォローしなければいけなくなったら?娘の成長にはならないのではないか。

私はまずは自分で行動する子になって欲しい。いつまでもおんぶに抱っこでは困る。かなり荒療治だが、お世話してくれていた子たちと離してもらえないかと考えたのだ。

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先生も配慮してくれたのか、見事に年少、年中で娘のお世話にまわっていた友達は誰ひとりクラスにいなかった。どうなることか不安になりながらも、私はひとまず見守ろう、もし何か問題が起きたら、その時はきちんと対処しよう。そう腹を括った年長。意外にも娘はたくましかった。

お世話してくれる子がいなくとも、娘は案外上手くやれたようだった。自分から毎日色んな子を遊びに誘い、製作活動も熱心に行うようになった。それまではこちらから聞かないと園の様子も話さなかったが、遊びの時間におままごとが邪魔されて嫌だったこと、給食を苦手なものから食べるようにしたらデザートが間に合わなかった等、詳細に話すようになった。

時々、製作活動で不安に思うことがあって弱気になることもあったが、決して行きたくないとは言わなくなった。そればかりか早く幼稚園に行きたいというようになったではないか。たまにお迎えに行くと仲良しのお友達を紹介してくれるようになり、公園で遊ぶようにもなった。それまでの娘からは考えられない行動の連続で、私も先生も驚いた。

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はっきり言って娘を仲良しの友達から引き離すなんて、周りから見るとひどい親なのではないかと思う。上手くいったから良かったものの、失敗したらどうなっていただろう。考えても仕方ないが、当時の私はああしないと娘がダメになると思ったのだ。
子供は案外たくましい。つい守らねば、先回りしてフォローせねばとあれこれ考えてしまう。でも時には突き放すことも必要なのではないか。今までの私は、心配のあまり、娘が快適な生活を送れるように守っていた。これからは、ある程度距離を置いて自分で解決させよう。そう思った出来事だった。

あれだけ不安げで泣きそうな顔で入園した娘は、すっかり大きくなり笑顔が眩しい年長さんになった。卒園式では笑顔で「楽しかった」と私と夫にたくさんお話ししてくれた。

小学校生活に不安があるみたいだけど、娘ならきっと大丈夫だろう。自分で頑張れる力がきっとあるはず。たくさん泣いてつまづいた分だけ強くなれている。

卒園おめでとう。これからも自分を信じて突き進んでほしい。