「自分は死なない」という思い込みは明日を生きていくための相棒

人の命は永遠には続かない。それは誰もが知っていること。私が今このエッセイを書いている間もきっとどこかで新しい命が誕生している一方で、どこかの誰かが静かに息を引き取っていることだろう。今日、そのどこかの誰かにたまたま私は選ばれなかっただけで、きっと選ばれる時が来る。いずれ死を迎える時が来る。
けれど、心のどこか奥底で自分は、自分に限っては死なないという謎の潜在意識を持ち合わせていることに気付かされた出来事がつい最近起こったのだ。
2月中旬、世間がちょうどバレンタインシーズンの頃、叔父(母の弟)が亡くなった。入院して10日ほど経った日のことだった。50代で、原因は肺炎。1月の終わり頃、叔父が肺炎で入院したことは母を通じて祖母から聞いていた。その時は、私も母も祖母もしばらく経ったら叔父の容態が良くなり、退院するだろうと思っていた。しかし、退院が叶わないまま、叔父は帰らぬ人となってしまった。最期は祖母、祖母の妹、母の3人で看取った。看護師さんによると、人によってはあまりにも苦し過ぎて、装着している医療機器などを外して病室を飛び出してしまう人もいるけれど、叔父は最後まで気を確かに持っていたそうだと母から聞いた。
叔父の死後、お通夜、お葬式が執り行われた。正直、叔父とはほとんど交流はなかったけれど、子供の頃にお年玉をもらったこともあり、ちょうどバレンタインシーズンだったので、叔父の好きなキャラクターのチョコレートをプレゼントすることに。叔父は生前、バレンタインをもらったことあったのかなという会話を母としながら、最初で最後のバレンタインチョコをそっと棺桶に入れた。母ももちろんのこと、祖母と祖父は息子の死を前に悲しみを隠しきれない様子だった。人の死はただでさえ悲しいけれど、祖母と祖父にとって自分たちより子供が先に逝くのはひどく悲しいに違いない。
慌ただしく日々が過ぎる中、叔父の遺品整理が始まった。叔父が使っていたスマホ、クレジットカード、愛用していたグッズ……ありとあらゆるものが存在する。叔父自身もまさかこんなに若くして自分が死ぬなんて思ってもいなかっただろうから、終活などしていたはずもない。その証拠に叔父が生前に購入していた商品が今になって届くことがある。それが1度だけでなく、何度か続くとどこかでまるで叔父の「生きたい」という声がふと聞こえてきそうな勢いだ。
四十九日までの間、毎週日曜日に僧侶の方が自宅へ法要に来て下さることになった。僧侶の方がお経を唱えている後方で私、祖母、祖母の妹、母がそれを聞いていた。僧侶の方はお経を唱えた後、法話を披露して下さった。法話終了後、祖母が口にしていたのは、「父ちゃん(祖父)ではなく、息子(叔父)が先に逝くなんてね」ということだった。祖父は昨年、入退院を繰り返し、現在は施設で生活している。体力も衰え、やせ細った様子だ。祖母がそう思うのも無理はないだろう。僧侶の方は祖母の悲痛な訴えを静かに聞いていた。そして、しばらくしてこう述べて下さった。
「明日死ぬとわかっていたら、生きられませんもんね」私はその言葉が非常に印象に残った。それは、死を意識し過ぎると生きられないことを意味しているのではないかと思った。また、僧侶の方のお話を通して、年老いた者から先に逝くだろうという考えも私たちの煩悩に過ぎないと実感した。
言われてみれば、人の寿命なんて誰にもわからないから、誰もがいつ死ぬかわからないし、逆に死はいつか必ず訪れるのだけれど、私たちはそれをまるで他人事のように捉えている気がした。自分は今日は死なない、自分に限っては今日は死なないと。そんな潜在意識を持ち合わせながら、日々やり過ごしていると感じた。これはある意味で歪んだ考えなのかもしれない。
もしそうならば、歪んだ考え=マイナスイメージがあり、本来であれば、今すぐ手放した方が良いのかもしれないけれど、この考えに限っては私はそうは思わない。なぜなら、この考えは私たちが生きていくために必要なものだと思うから。肌身離さず、生きていくための相棒としてこれからもかけ続けたい色メガネと呼ぼう。私は今日もそんな色メガネをかけながら生きているんだ。
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