昨年私は年女だった。24歳?いいえ、36歳です。

近年アラサーでもアラフォーでもなく「ミドサー」という言葉が普及しとても良いなぁと思っていた矢先、今年37歳を迎えることになる。とは言えまだ抗いたい気持ちも時折浮かんでくる。

気持ちは30手前くらいなんだけどなぁと思うときもあれば、実際に20代と接すると肌や声が自然と輝いていて、やっぱりそうか、そうだよなぁとback numberばりに我に返る。

SNS上で「実年齢×0.8=女性の自認年齢」と見掛け、やってみたことがある。「36歳×0.8=28.8歳」。ぐぬぬ、あながち間違っていない……。しかしこの自認年齢のままでいくといつかどこかで辻褄が合わなくなる日が来るような気がして。そんなときはそっと手や指のシワと結婚指輪を確認し、実年齢で胸を張って生きていこうという決意を新たにするのだ。

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中学時代、部活の顧問をやってくださっていた30代前半の女性の先生に、厚化粧だ下っ腹が出ているだなんだって、言いたい放題言ってたっけ。高校の当時非常勤だった先生は28歳だったか。亜麻色の髪をくるくると綺麗に巻いて、綺麗なお化粧と洋服に包まれ、美しい声で美しい日本語を教えてくれていた。

校則によりメイクも染髪も許されぬ女子高生の我々は妬んでいたのだろう、いい歳してぶりっ子だのおばさんだの陰でコソコソとこぼしていた。先生方、あのときは本当にごめんなさい。

おばさん扱いしていたどちらの先生をもはるかに越える年齢になってしまった私。いや、当時は私も30歳くらいで人生が終わるものだと思っていて、30代も後半まで生きるだなんて想像できていなかった。だからこそあんなことが言えたのだろう。「大学に入って就職して恋愛してTHE END☆」みたいな、そんなところまでしか考えてなかったのだ。

30歳になったところまではよかった。文字どおり「NEW AGE」といった感じで多少はフワフワできていたが、そこから1~2年で現実が降りかかった。「あれ、これからどう生きていけばいいんだっけ?」。一度そう考えてしまうとどうしようもなく虚しくなって、髪も肌も心までもボロボロな自暴自棄生活に堕ちることとなった。

「若さや輝きを失いながらも地続きで人生は続いていく」ということを受け容れるのに時間がかかった。

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これ以上生きたくないと言っても、病気や事故に遭ってもよいものか。いや、よくない。自分で自分を痛めつけてもよいものか。いや、よくない。じゃあどうする?

どうせ長く生きるなら、ちゃんと生きようじゃないか。夕食をスナック菓子とビールやチョコレート菓子で済ませるのをやめよう。傷んだ毛先を引っ張って切れ毛だらけにするのももうやめよう。健やかに生きていくことにしよう。どうせおばさんになるなら、かわいいおばちゃんになろうじゃないか。

半年から1年はどん底の中でもがいただろうか。もがききって身も心も整えた暁には、今のパートナーに出逢い、子どもにも恵まれることができた。

今の私が一番好きだ、幸せだと胸を張って言える。あのとき解脱できていなかったら、今頃若さの亡霊のような、冴えない中年になっていただろうか。自己満足の範囲内ではあるが、年齢相応の自分でいられていることを祈るばかりだ。

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今では子どもの将来を見届けたいし、あわよくば孫にも会えるのだろうかなどと淡い期待を抱きつつ、80、90歳まで元気に生きたいと欲張っている。あんなに嫌で辞めたがっていた仕事も、心身ともに健康なまま定年まで続けられるだろうかと思案する自分がいて不思議なほどだ。

街中でも自然と年上の女性たちの素敵なところ、尊敬するところを探して、ああいうふうになりたいなぁと理想のエッセンスを自分に取り込んでいる最中である。素敵に年を重ねて、どの自分も好きでいられるように。

このエッセイを書きはじめたとき、幼い頃親が運転する車の中で時折聴いていた竹内まりやさんの「人生の扉」という曲を思い出し、改めて聴いてみた。沁みる。どの年齢も素晴らしいと歌い上げている曲だ。とても歌詞が素晴らしいので是非お聴きいただきたい。年齢を重ねるのが楽しみになるはずだから。

今、外はちょうど桜が咲いている。これから何十年先も桜を愛でにいける身体で、美しいと感じられる心でいられるように、強く美しく日々を過ごしていこうと誓うのだ。