セクハラを都合よく使った人たちへ。「女性が強くなった」は違う

最近、とくに思うことがある。
日本の女性はこの男性中心社会において、これまでの扱いに荒くれた態度を取ることなく、それどころかずっと真面目にひた向きに生きていると思う。
偉いではないか。
日本の男女比がほぼ半々だとしても、ニュースに取り上げられるような事件を起こすなんて、たまーーーに、だと感じる。
痴漢もしない、盗撮もしない、仕事をする職場であからさまな行為により男性を邪魔するようなこともしない。
だらしない格好ではなく、子供にも示しのつく清潔感のあるファッションで前を向いて歩いている。
大多数の女性がそうだ。本当に偉いではないか。
しかし女性側が上に見られることについて、それを都合の悪いことと考えている人たちは、誰もそれを口にしようとはしない。
年末の紅白歌合戦の勝敗も、紅組34勝、白組41勝となっているが、男性を持ち上げようする結果ではないのか、とさえ思えてくる。
それでも女性はニコニコしている。
社会では、男性だけが総合職、管理職の時代があり、ただの事務職の女性は朝早く来て机を拭き、ゴミを捨て、お茶を出し、職場によっては女子トイレだけではなく、男子トイレまで掃除した。
また、男性しか使用しない喫煙所のヤニのしたたるフィルターまで掃除した。
お茶は女性が出した方が美味しいんだよ!という、誰かに都合のいい言葉で理由をつけられていた。
女性からすると、誰にお茶を出されても、ありがたいしうれしいと感じるけど。
雑用は女性がやって当たり前くらいにしか思われていなかった。
なぜそんなことをさせられて、今も自分を保ち、働き続けられているか。
不思議に思っている男性はいるのだろうか。
それは女性が何も考えていないからだ、と思っているのだろうか。
そして気づいていないと考え、それを都合よく利用しているのか。
違う。それはそれらが、おかしいことだと、うすうすわかっていたからだ。
女性だけがそんな役目を負わされていることに対し、きちんと違和感を感じて、これはおかしいことだと頭や心のどこかで認識できていたからだ。
例えそれをおかしいと主張しても、理解すら示さない、言ってもわからないのが昭和人たちだったろう。
気づいていても、時代がそうさせなかった。だから、ハイハイと従っていただけの話。
愚かな人たちが、自分のしたくないことを口でうまく言い、女性だけにさせていたのだ。
こういう人たちには何を言っても、何も始まらない。この人たちに塗る薬などどこにもないのだ。
まだまだ女性は時期を伺っているところはある。
しかし、そろそろ動き出している。
今まで表現すらできず、言葉も存在しなかったが、セクシャルハラスメントという言葉ができたように、続いてさまざまなハラスメントの言葉が誕生した。
嫌なことは嫌だと言える世の中になった。さまざまなことが公開される世の中になってきた。
セクハラ行為を都合よく利用していた人たちは、決まって女性が強くなったと口々に言うが、そうではない。
そんなことは、とうの昔から嫌だったのだ。強くなっているとしたら、強くならざるを得なかったから。
昭和世代どっぷりの考えの人が、そろそろ定年や退職のころに差し掛かり、新しい風の時代の考えを通せる世の中になろうとしている。
恐らく賢い女性は、賢く、そして正しく目論んでいることだろう。
日本はいい国だと思う。日本に生まれて、日本に住んで、そして日本の女性として生まれた。
これって最高のことではないか。
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