大学の授業のグループワークでほぼ初対面同士の人たちとグループを組まされ、「互いのいいところを一人一人挙げる」という活動があった。話したこともない人なのに内面なんてわかるはずもなく、「リーダーシップがある」「洞察力がある」など当たり障りのないうわべの言葉をあげつらって何とか時間をやり過ごす。

そんな中、私に対する評価は押しなべて「真面目そう」だった。そして、実際接してみて「真面目そう」から「真面目」に変わるらしかった。

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私はものごころついたころから親からも先生からも友達からも、はたまた塾の先生や友達の親御さんにまで「真面目ないい子」だと思われてきた。家に帰ったらまずは宿題をする、ゲームはしない、休日は遊びに行かず家で読書、ルールは絶対に守る…などの習性から「いうことを聞くいい子」だと思われてきた。しかし、そんな姿勢を貫く私とは反対に友人たちは小学校高学年からだんだんルールを破ることや自分のやりたいようにすることを覚え始める。大人に反抗的な態度をとることさえ厭わなくなる。ずっと同じだと思っていた友達がどんどん違う人格になっていくようで少し怖かったが、環境によってはずっと「いい子」であり続ける人たちがいるのだろうと信じていた。

中学は大学付属校を受験したが、学力試験のほかに面接があった。「クラスでいじめを起こさないために重要なことはなにか」などに対してさもいかにも模範的な回答が続出した。背筋をピンと伸ばし堂々と話すほかの受験生たちは同じ小6とは思えず、場違い感を覚えた。「きっとみんないい子なんだろうな」と思った。

しかし、入学し蓋を開けてみれば彼らは普通の中学生だった。学校にお菓子や漫画を隠し持ってくるし、学年集会で注意されても直らないやめない。かと言って私が指摘すると男女問わず「いい子ぶって」と言われた言ってきた。「こんな人たちに言われるならいい子上等だ。」周囲が「いい子」であることを信じて疑わなかった私にはこの状況が許しがたく、自分だけは「いい子」を貫き通そうとした。

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ところが、私の「いい子」信念が崩れ始める出来事が中1の冬に起きる。バレンタインデーは案の定、みんなルールを無視して手作りチョコを持ってきて交換していた。私はそもそも友チョコを交換できるほどの仲のいい友達がおらず完全に蚊帳の外だったので目の前の光景がまぶしくて目障りだった。ところが、たった一人だけチョコをくれた子がいた。当時隣のクラスで学級委員長だったザ・優等生だった。

私のような陰気な人間にまで用意してくれたのだった。驚きに圧倒されて、私は最初受け取ってしまった。しかし、当時学級委員長だった私は「これはルール違反ではないか」と思い、「ごめん、返せないから受け取れない」などしどろもどろに理由をいい並べて無理やり返した。その子の悲しそうな顔は初めて見る顔だった。

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私はルールを守った。けれども、心に抜けない何かがぶっ刺さった日々が続いた。私はルールを守って何を得たのか。人を傷つけてまでして、一度受け取ったものを返す必要はあったのか。あれ、ルールってそもそも何のためにあるんだっけ?

次の年、私は別の子から友チョコを差し出された。その時は学級委員長でなく風紀委員長にランクアップしていた。さすがに受け取るのはまずいと思い、しばらくその子と押し問答をしたが、最後に私が折れた。ただし、私からお返しはできないことを条件に。ルールを破った。でも、このときのかすかなすがすがしさは私の「いい子」からの卒業だった。