想像は夢を抱くヒントに。書くことで見えてきた人生の可能性

文章って、どこにいても書けるし、小説だって海外で生きていたって書ける。そうした執筆活動を生涯とおして、続けたい私にとって、ここで生きてかねば生きていけないのだ!と宣言するつもりはない。今のところ、ここから急いで引っ越さなければ何かを成し遂げられない、ということはないのだ。
けれど、もし今後住む場所を変えるとしたら、どこに行くだろうか。ここへ行きたい!と思う場所はたくさんあるが、それでも書くことを続けることができるなら、ただ私はそれでいいと考えている。もちろん、海外に行ってバルコニー付きのところに住んで、書くことに没頭する人生、10代のとき好きだった人と二人きりで過ごす家。それは都心の芸能事務所が近いところとか、撮影現場や劇場が近いところとか。もしくは遠方ロケの仕事が入ったときにすぐ出向けるように駅や空港に近しいところとか。
都会の生活は忙しない、というイメージは変わりなく、幼少期から小学校高学年までの約10年間を過ごした大阪も、常に私にとっては大都会である反面、大切な故郷であることに違いない。
この先、「好きな人の夢は自分の夢だ。だから一緒に夢を叶えたい」と胸をはって言う日が来る人生を設計していくために必要なことは、すでにわかりきっている。それを設計し、実現させるために生きる場所を変えることだって抵抗がない。そう言い切れるには、まだ時間がかかりそうだ。
頭のなかばかりで思い描くのも良いけれど、せっかく文章として書き連ねる力が私には与えられているので、ここからは「もし今と違う生活をしたら、どうなるか」という像を物語の始まりという形で書いてみるとする。
東京の中心街からは少し離れた住宅街。その一角を曲がった先に、小さな一軒家がある。部屋の中に入ると、配信サイトが閲覧できるテレビがある。その横には、台本が積み上げられた本棚が、部屋の全体を眺めるようにしてずっしりと構えている。台本はこの家主にとってなくてはならない「相棒」である。
今や老若男女問わず幅広い世代から注目を集める、カメレオン俳優Aは、舞台や映画を中心に日々役者業に励んでいる。役者というのは常に神経を酷使する仕事でありながら、共演者やスタッフにも気を遣うという「暗黙のマナー」は出世するためには欠かせないものだった。それに加えて、撮影が深夜まで及ぶ日は、ロケ先付近のホテルに泊まって朝帰りする生活にもすっかり慣れていた。二十歳で養成所を出て、芸能事務所に入った途端に次々と仕事が舞い込むようになって、早三年。この春、Aは23歳の誕生日を迎える。
東京生まれ、東京育ちではなく、18歳のときに地方にある実家を出て一人暮らしを始めたが、それから仕事に一極集中するために、二回の引っ越しを経験した。東京は住みやすい。だがあるとき、事務所の喫煙ルームで、東京のことを出会いと別れを繰り返す街だ、なんて呟く人がいた。そのことに対してAは、なんとも思わかなかった。というよりも、聞かなかったフリをしたのだった。
そもそも俳優として生きると決めた以上、出会いも別れも空虚であり、フィクション映画でしか起こらないことだと思うようになったからだ。
(完)
ここからは、いつも通り?いつもの真桜エッセイに頭を切り替えて、どこで生きるかについて、また語っていきたいと思う。
上記の物語は、役者に憧れて地方から東京に上京してきた男性の、夢が詰まった部屋、をテーマにして書いてみたものだ。東京で生活したことがない私にとって、物語の主人公である俳優Aの気持ちは正直に言うと、すべてわかるものではない。
けれど、こうして想像してものを書く、ということが好きな私は、東京にいなくても、芸能界で仕事をしていなくても、その生活を、物語というひとつの世界で経験することができる。経験とまではいかなくても、その世界を「想像」することで、この先、どこで生きていくか、夢を抱くヒントを得ることに繋がると私は思う。
こうして私は書くことで見えてくる可能性に、あらためて感動させられた。
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