取り残されたように孤独な夜。特効薬は明日の私を作ることだった

小学校低学年のころ、朝が来るのを待つのが嫌だった。
嫌だった、というのは明日を迎えたくない、のではなく、むしろ逆で、早く明日が、朝が、来てほしかった。
だけど、それは毎日ではなく、ある事実に気づいてしまった夜だけ。
その事実とは"私より先に街が眠ってしまった"こと。
夜になると空が暗くなる。
それは当然のこと。
太陽が沈むという不可抗力の宇宙の仕組み。
夜になると街が暗くなる。
これも当然のこと。
みんなが寝静まるという不可抗力の人間の仕組み。
そして、夜になると静かになる。
これもまた当然のこと。
街にいた人びとがそれぞれの家に戻るという不可抗力の生活の仕組み。
夜になると空気がしゃんとする。
これは私の感覚。
仕方なく真っ暗になって静まり返った窓の外を見ていると、無意識のうちに息を潜めてしまう。ごくり、と自分が唾を飲み込む音だけが耳に届く。
真っ暗な空に浮かぶ星はたしかにキレイで、時間を忘れて口を開けて眺めてしまう。
だけど、星の美しさに心奪われるのも一瞬で、目の前に広がる暗さに引き戻される。
そうすると私は決まって"おーーーーーい"と叫びたくなる。
さすがに叫びこそしなかったが、
街が先に眠ったことに気づいてしまった夜はどうしたって寂しくなるのだ。
当時の私は、この地球上には時差というものが存在する、ということだけは知っていたから、今私がいるこの場所が夜になったら、飛行機に乗って、朝を迎えている場所に行って、一生起きていたいと切に願っていた。
自分が早く布団に入って目をつぶって眠りに落ちてしまえば、眠りの深い私は、次に目を開けたときには朝を迎えているのだけれど、その事実に気づいてしまった夜はどうしてもムズムズしてしまう。
無性に寂しい。
学校が夏休みに入って友達と会えなくなる時とか、誰かが引っ越してしまうとか、そういう別れの寂しさとは違って、自分だけがポツンとこの世界に取り残されたような、孤独を感じる寂しさ。
そんな夜、私は決まって、父には足を、母には手を握ってもらっていた。
そうすると、物理的に繋がりを感じられて、人肌のあたたかさを実感し、安心出来る。
21歳になった今でも、ふとしたとき、その孤独の寂しさを感じる夜がある。
でも、さすがに小学生のあの頃の私みたいに両親に頼むわけにはいかない。
だから、私は自分で"特効薬"を作った。
それは、あたたかい布団にくるまって、"明日の私"をつくる。
庶幾う"朝"を迎えた明日の私は、まず家族のあたたかい「おはよう」に包まれる。
そのあと、あたたかい美味しい朝ごはんをたらふく食べる。
あまりに朝ごはんをのんびり食べすぎた私は、あの運動会でよく流れる徒競走のBGMを頭の中で流しながら、着替えやら歯磨きやらを済ませる。
準備が終わったら家を飛び出す。
あたたかい太陽を浴びる。
そして、学校に着くと太陽みたいにあたたかい笑顔で手を振って待ってくれていた友達の「おはよう」をたくさん浴びる。
うん、私は孤独じゃないと思えたころ、その続きはない。
あたたかさを感じられた私は知らぬ間に眠りにつく。
そして、家族の本当のあたたかい「おはよう」で目を覚ます。
やっと朝が来た。
やっぱり私はあたたかい朝が好き。
今夜も朝まで待ってみよう。
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