社会人になっていちばん辛かったのは、指導してくれる先輩の価値観だった。その先輩特有の価値観なのか、その職場特有なのか、会社全体なのか、業界なのか、はたまた社会通念なのか、区別が付かなかった。そのため、社会とはこういうものなのだろうと思っていた。

しかし、私とは真逆の体育会系の根性論のような価値観で、大変でしかなかった。私は仕事は出来るけど疲れやすい、人より労力の消費が大きいタイプなので、ひたすらそういう価値観と相性が悪かったのだろう。

仕事は出来ているのに何が辛いのかと先輩から言われていた。そう言われても自分でも分からず、でも社会はそういうものだと思い、それに慣れなきゃいけないと必死だった。何より辛かったのは、先輩の言動の根底には前時代的でハラスメントめいた価値観があり、いつその矛先が自分に向けられるかとビクビクしていた。

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休職してから違う業界の人たちと話して分かったのは、それらは社会通念ではなく、業界としてそういう価値観だった、ということだった。業界全体でブラックとして名高いので、私が倒れたり、休職したりしていることにも理解してもらえてありがたかった。

会社から離れて思うのは、私はとにかく会社の価値観に染まろうとしていて失敗してしまった、ということだった。アルバイトとは違い、正規雇用はその会社の一部になるという感覚を覚えた。仕事において会社の歯車の一部として組み込まれることで、自分の内面的な部分まで会社に擦り合わせる必要がある、と感じてしまったのかもしれない。逆に言えば、そうしようとすることで仕事が出来ていた面もある。

問題は会社の価値観が前時代的で、全体的にハラスメントめいていて、自分の価値観と乖離していたことだ。そのため受け入れようとすればするほどストレスで、迎合しようとすればするほど反発心が出た。どんなに社会とはそういうものだと言い聞かせても無理だった。

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別に仕事は仕事、会社は会社、私は私と割り切ったら良かったのかもしれない。でも仕事と会社は地続きだった。仕事をすることでどうしても私と会社が切り離せなくなった。

先輩のような会社の価値観を意に介さない人はそのまま会社で働き続け、私のような人間はフェードアウトしているのだろう。上手く会社の価値観と折り合いをつけたり、距離を置いたりしている人もいるだろうが。会社の価値観を意に介さない人ばかりが残り、会社の価値観はより強固なものになっていくのだと思う。

用意された場に馴染めなかった私は弱かったのだろう。だが、あんな価値観のもとに身を置き続けるような人間でいたかったかと問われたら、それは違う。むしろ、ちゃんと前時代的でハラスメントめいていた価値観に違和感を覚え、迎合しなかったことは誇らしい。

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とはいえ誇りだけでは食べていけない。会社に所属しなくても食べていけるほどの強さを身に着けるか、会社に所属しても迎合できるか、折り合いをつけるかをできる強さを身につけなければならない。

価値観に全くNoをつける必要のないホワイト企業と巡り合うという手もあるが、運など自分の努力の及ばない部分が大きい。現実的なのは何らかの強さを身に着けることだろう。

強さを身に着けねばと意気込む一方で、強くなくても、弱くても生きていける社会のほうが優しくて好きだなと思う。でも社会と会社は違うからと言い聞かせつつ、会社は社会の縮図だとも思う。

一個人で出来ることは限られている。強さは生きていくうえで必要なものかもしれないけれど、かつての弱さを忘れず、踏みつける側にはならないように、寄り添えるようになりたい。