小学校も中学年、高学年になってくると「○ちゃん、好きな人いる?」などとおませな話題が密やかにめぐってくる。自分で言うのも変な話だが、優等生ながら周りのノリに合わせるのが上手かった私にも、そういった類の話は巡って来た。

とはいえ、恥ずかしさなどから「え~」なんて誤魔化していたので、ノリが良かったかというとそうでもなかったかもしれない。だが、知られたくなくてどんなに仲が良い子でも積極的には明かさなかったくらいには、好きな人がいたのである。

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特別カッコいいわけでも、運動神経抜群というわけでも、ましてや豪邸に住んでいるとかでもなかった彼。人の容姿をとやかく言うのはナンセンスであるが、小学生当時、彼について同級生の女子たちが「イケメン」と評した話は聞いたことが無い。

整った顔立ちはしていたが、それだけ。運動神経も、悪くはなかった記憶があるけれど際立ってよかった印象もない。地方都市郊外の公立小学校に通う小学生たちだ。家だって一軒家は珍しくなかった。ただ、とても賢かった。小学生男子らしく傍から見ればアホなことも他の男子たちとつるんでよくやっていたけれど、国語や算数などの教科はもちろん、ピアノも弾ける、絵もうまい、という何でもそつなくできてしまうタイプの人であった。

優等生タイプな私と何事もそつなくこなすことに長けた彼は、何の因果か一緒のクラスになることが多かった。そして、一緒に代表委員(学級委員的なもの)をやったり、学校行事の班を組んだり、運動会の競技の3人1組のチームを組んだりと、多くの場面で話す機会を持った。完全ランダムのくじ引きの席替えで隣になったときもあった。具体的にいつから好きだったかは覚えていないが、私は相当ラッキーなことが頻発していたことになる。

いまも健康に生きているのはよく考えたら有難いことなのかもしれない。そんな幸運に見舞われながら過ごした小学校時代も、終わりは呆気なかった。大体の同級生が近所の公立中学校に進学する中、彼は別の道を選んでいた。

彼の賢さについては前述したとおりだが、その能力をもって地元で最難関と言われる中高一貫校に歩を進めていたのである。卒業1週間前とか、とにかく卒業ギリギリにそれを公表した彼が輝いて見えたと同時に、はるか先の遠い存在になってしまった瞬間だった。

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中学校に進学して、様々な人と出会った。当時、全国でも有数の生徒数を誇る中学校でもあったので、自分にとって刺激となる人物はたくさんいた。良くも悪くも、ではあるが、先生方にも恵まれて、多感な時期を良い形で乗り越えられたと思う。

しかし、彼以上に好きだと思う人はできなかった。好きかも、という気持ちさえ起らなかった。思い出だけが繰り返されて、同級生たちはただそこにいる人だった。人間関係には困らないようにしていたが、特別仲が深まった人はいなかった。

小学校時代のそれなりに快活だった私とは打って変わり、中学校での私は少し根暗そうな、多少勉強ができる女子だったため、交友関係がそれほど広まらなかったのも大きいだろう。そんな中でやってくるのは、高校受験という壁だった。

志望校を考える時、彼を思い出すことはなかった。だが、結局選んだのは彼が進学した先だった。偏差値がそれなりに高く、制服もあって、学校の立地もターミナル駅から徒歩で行けるくらいには近い。中高一貫校ではあるが、高校からの入学も受け入れていて、だけど倍率がそこまで高く出にくい、という私にとっては好条件の学校だったのである。そういえば彼がいるところだな、と気付いたのは、受験を終えて合格発表を待つ中だった。

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入学式の日、学級担任から呼名され、返事をする彼の声を聞いた。記憶よりも大人びた姿に、どこか感慨深ささえ覚えたけれど、かつてほど、好きだな、とは思わなくなった自分がいた。

小学生当時に抱いていた想いが嘘だったとか、好きではなくなったとか、そういうわけではなく、私は彼のことが「人として」好きだった。かつては恋愛感情として抱いていたであろう気持ちは、友情的なものへ昇華していた。

ただの一度も会話せず、文理選択の違いもあり同じクラスにもならず、遠くから横顔を見た高校時代。当然進学する大学も違っていたが、何の偶然か私は彼の進学先を知る機会があった。大変優秀な大学だった。

好きだな、と思った気持ちは本当だったと思う。だけど、今はもう好きだった、に変わり、もっと詳しく言うなら人として好きな人となった。過ぎた日の淡い思い出である。