山を見て季節を知る地元に惹かれつつ、2人ならきっとどこでも幸せ

正直、私はインドア派だから、どこでも生きてはいけるのだろうと思っている。
ネットがあれば仕事もできるし、遊びも無限大だ。
これまで、住む土地に対して「こうあってほしい」と思ったことはあまりなかった。
でも、色んな土地を訪れたり住む中で、もしかしたら自分の落ち着く場所って地元なのでは?と気づいてしまった。
私は、北海道出身で物心つく前から自然が身近にあった。
遠くの山が白くなったら、冬になったなと感じる。
雪が溶ければフキノトウが土から顔を出し、少しずつ暖かくなる。
肌に当たる風から、季節を感じることも当たり前だった。
ただ、大学進学を機に上京して、この感覚は割と独特だったのだと気づく。
4月には桜が咲くし、夏の前には梅雨がある。秋が過ぎて冬になっても雪は数回降るだけ。
なにより、どれだけ遠くを見ても山がない。
山がないから、冬が来ているのかわからない。
雪は降っていないのに、北海道よりも冷たい風が身体を芯から凍えさせる。
正直、東京の冬のほうが寒い。
上京して、今年で10年目になる。
最近、実家が北海道に戻り、帰省するたびに新たな気づきがある。
年明け、雪が降るときに外出した際、牡丹雪を見て懐かしい気持ちになった。
そういえば、学生の頃は雪が降る景色をずっと見ていたなと思い出す。
4月、暖かさと冷たさが混じる季節。
遠くの山にまだ雪が残っていて、「あぁ、もう少しで春だね」と気づく。
登下校時、山を見る癖があったことを忘れていた。
やっぱり北海道で生まれ育ったからこそ、身体はこの土地の周期で生きている気がする。
こればかりはどうしようもないのだろうなと思う。そして、土地を離れるだけで、身体に馴染んでいた感覚を忘れちゃうんだなぁと寂しい気持ちになる。
人間、忘れることだけは得意なのかもしれない。
今年28歳になる私にとって、この先どこで生きていくのかは全くわからない。
それは、同棲しているパートナーが転勤族であることも大きな理由だ。
きっと辞令が出れば、私はパートナーについて行ってその土地に馴染むだろう。
でも、もし叶うのであれば、パートナーと北海道で暮らしてみたいなと思う。
付き合った当初、2人で北海道に住むという夢物語を話していたのが懐かしい。
彼が学生時代に読んでいた小説の舞台が北海道で、元々憧れもあったらしい。
その夢を叶えるために、2人で行動するまでの熱意は持ち合わせていないが、もし北海道と縁があれば転勤になるだろうと思っている。
なんだか他力本願にも聞こえるが、人生こんなもので良いのだ。
というか、これまでの人生が成り行きだったので、そんなものだ。
きっとなるようになって、自分に合った場所で自分らしく暮らせるだろうし、私はお家が大好きなのでどこでも生きていける。
それに、パートナーと一緒にいられれば、絶対に私はハッピーだと信じている。
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